【1/2 英語版③巻オーディオブック発売・電子先行③巻発売中】竜の番のキノコ姫 ~運命だと婚約破棄されたら、キノコの変態がやってきました~ 第2章
24 我慢って、何ですか
「すみません」
「謝らなくていいよ。……フィリップの影響とかいうのは、根深いな。精霊の加護も否定されていたんだよね?」
 握りしめていたアニエスの手をゆっくりと放すと、クロードの表情が少し曇った。

「はい。気味が悪いと、言われていました」
「……フィリップに未練はないよね」
「何もありません」
 食い気味の答えに苦笑したクロードは、アニエスの頭をもう一度撫でた。

「なら、フィリップの言っていたことは、忘れよう。少しずつでいい。……君を否定する者じゃなくて、肯定する者の言葉を選べるようにしよう。――ね」
 鈍色の瞳にまっすぐに見つめられると、何だか不思議な気持ちになってくる。


「シャルル様が、グラニエ公爵に対して私のケーキが効くと言っていたので。魔力はよくわかりませんが、精霊の加護なら効くかと思いまして」
 あんなに不安で言うことができなかった言葉が、何の障害もなくするりと出てきたことに、自分でも少し驚く。

「叔父のために、精霊に呼びかけてくれたの?」
 アニエスがうなずいた途端、あっという間にクロードに抱きしめられた。

「ありがとう、アニエス」
 腕の中で甘い果実の香りに包まれて恥ずかしいのだが、同時に何だか安心する。
 どうしたらいいのかわからずじっと動かずにいると、頭上から微かに笑い声が聞こえた。

「でも、今芽が出たので。すぐには」
「そんなの、いくらでも待つよ」

「それに、何の効果もないかもしれません」
「アニエスが叔父のために行動してくれたこと自体が嬉しいんだ。効果は二の次だよ」

 抱きしめられたままの状態で不安を訴えるが、どれもこれもクロードにあしらわれてしまう。
 何度も頭を撫でているクロードは、ちらりと顔を上げたアニエスと目が合うと、鈍色の瞳を優しく細めた。
 急に恥ずかしくなったアニエスは、クロードの胸を押して少し距離を取る。


「クロード様は……優し過ぎませんか?」
「それ、比較対象はフィリップだろう? アレと比べたら、そりゃあそうなるよ。……それに、これでもまだ自重しているんだけどな」
「ええ?」
 予想外の訴えに驚いて目を瞠る。

「本当なら、もっと君を甘やかしていちゃいちゃしたいかな」
「そ、そんなの困ります!」
 今でも既にアニエスの心臓は楽し気にスキップしているのだ。
 これ以上となれば、命に関わりかねないではないか。

「そう言うと思って、我慢している」
「我慢って。一体何をするつもりですか」
 既に抱きしめられたり、可愛いと言われたり……アニエスの限界に挑戦されている状態なのだが。

「うん? 言ってもいいの?」
 悪戯っぽく微笑むその仕草は可愛らしく、同時に恐ろしいほどの色気を放っていた。

「――だ、駄目です! やっぱり、いいです。我慢でお願いします!」
 何を言うつもりなのかはわからないが、何を言われてもアニエスが瀕死になる未来しか見えない。

 安全第一、健康第一。
 こんなところで死にたくはなかった。
 必死に答えるアニエスを見て、クロードはにこにこと満面の笑みを浮かべている。

「……楽しそうですね」
 少しの文句を込めて訴えたのだが、まったく伝わっていない。
「うん。楽しい。番を見つけると世界が変わるって聞いていたけれど、本当だね。今はアニエスとキノコが輝いて見えるよ」

「キノコは元々ですよね」
「輝きを増したね」
 初対面の時点で既にキノコの変態だったのに、更にキノコが輝いて見えるとは。
 どうやら変態のキノコ愛に、限界はないらしい。


「竜紋持ちは、番に助けられる部分が多い。それもあってか執着心が強いし、独占欲も強い。番にとって竜紋持ちは唯一の相手ではないからこそ、アニエスが俺から離れないようにしたくなるんだろう」
「竜紋の力、ですか?」

「というよりも、心の変化だね。俺はキノコが好きだけれど、アニエスのためなら少しは我慢できる」
「少しなんですね」
 我慢しても少しなのかと呆れるが、キノコの変態的にはかなりの譲歩なのだろう。

「今までなら考えられないことだ。竜紋のせいでそうなったというよりも、アニエスのためにすべてを組み替えたような感覚だね」

「……それ、怖くないですか? つらくないですか?」
 原因が竜紋でも何でも、自分が組み替えられるなんて、何だか恐ろしい響きだ。
 だが、クロードはゆっくりと首を振った。

「まさか。幸せだよ。だからこそ……アニエスに手を出す者には容赦できないだろうな」
 鈍色の瞳が一瞬鋭く光った気がするのだが、気のせいだろうか。

「でも、その心配はありませんし」
 手を出すというのは、要は女性としてのアニエスにちょっかいを出すということだろう。
 今までの人生を振り返っても、その心配は皆無だと思っていいはずだ。

「どうして、そう思うの?」
「だって、私はこの髪ですし。平民出ですし」

 それにフィリップに公開婚約破棄をされた女だ。
 しかも知られていないがキノコに全力で呪われている状態。
 キノコの変態なクロードでもない限り、近付こうとする気も起きないだろう。
 アニエスは真剣に訴えたのだが、クロードはがっくりを肩を落としてため息をついた。


「……うん、わかった。やっぱりアニエスは甘やかすことにする」
「ええ? だってさっきは我慢とか何とか」

「十分しているよ。でも駄目だな。フィリップのせいか、自分を否定しがちだ。まずは自己肯定感を育てて。自分のことをきちんと理解してもらわないと……色々、危ない」
 クロードはアニエスの頭を撫でると、桃花色の髪を一筋すくい取った。

「この髪は美しいし、アニエス本人も可愛らしいし、キノコまで生えて、とても魅力的だ」
「……それ、魅力の大半がキノコですよね」
「そうだけど、そうじゃなくて」
 その瞬間、破裂音と共にクロードの腕に二本のキノコが生えた。

 白い棒の上に鐘型の傘をかぶり、黄色のレースのマントを垂らす優雅なキノコと、同じく白いレースを揺らすキノコ。
 ウスキキヌガサターケと、キヌガサターケだ。
 一気に二本生えてきたことにより、若干周囲が臭くなる。
 だがそれを見たクロードの瞳がきらりと輝いた。


「アニエス、今日は空いている?」
「え? はい。特に何もありませんが」
「よし、じゃあ出掛けよう」
 そう言うなりクロードはアニエスの手を取り、畑の入り口に向かって歩き出す。

「ええ? どこにですか?」
「秘密」
 にこりと微笑まれてしまえば、何を返したらいいのかわからなくなってしまう。

「モーリス!」
 畑を出てクロードが声を上げると、廊下の奥から黒髪に朽葉色の瞳の青年が姿を現した。

「コモドに行く。使いを出せ」
「かしこまりました」
 頭を下げて素早く立ち去るモーリスを見送ると、クロードはアニエスの顔を覗き込む。

「ルフォール伯爵に声を掛けたら、すぐに出かけよう。……もう、俺と二人でも馬車に乗れるよね?」
 有無を言わさぬ王者の微笑みに、アニエスはうなずくことしかできなかった。


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【今日のキノコ】

ウスキキヌガサタケ(「女王が二本降臨しました」参照)
白い棒の上に鐘型の傘をかぶり、黄色いレースのマントを垂らす優雅なキノコ。
華麗な姿はキノコの女王に例えられる。
高級料理に使われる美味しいキノコだが、頭のネバネバは臭い。
一時間でドレスを身に纏い、三時間で一生を終える、美人薄命ならぬ美茸薄命なキノコ。
「アニエスの魅力を伝えるならドレス! 見て、この華麗なドレス!」とクロードに自慢のドレスを見せつけている。

キヌガサタケ(「女王が二本降臨しました」参照)
白い棒の上に鐘型の傘をかぶり、白いレースのマントを垂らす優雅なキノコ。
華麗な姿はキノコの女王に例えられる。
高級料理に使われる美味しいキノコだが、頭のネバネバは臭い。
レースのマントをおろす速度は菌界・植物界で一番の成長の速さ。
ウスキキヌガサタケと共に生き急ぎ系キノコとして名を馳せる。
服を仕立てると約束したのが待ちきれず、催促するためにウスキキヌガサタケと共に生えてきた。
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