社長、それは忘れて下さい!?

 本気ではない相手にあんな風に怒ったり悲しんだりはしないだろう。三年以上の月日を龍悟の傍で過ごしてきた涼花は、彼が人間関係を尊重することも、人を傷付ける嘘をつかないこともよく知っている。

 だから余計に辛い。お互いに惹かれ合っていて両想いだと分かっていても、唇を重ねると龍悟はその前後の記憶を失ってしまうのだから。

 涼花だけが覚えていて、龍悟は何一つ覚えていない。その状況を延々と繰り返す関係にはなりたくない。けれど一度もキスをせず、ただ身体を繋げるだけの関係でいることも出来そうにない。

「ううん……大丈夫」

 ――大丈夫。辛いのは同じだが、龍悟が『忘れた事を知っている』のは、涼花にとって大きな救いだった。

 今までの恋人は『忘れた事自体を忘れている』状態だった。だから涼花を『重い女』『ストーカー』と心ない言葉で罵った。

 けれど龍悟は、涼花を傷つけたりしない。この重苦しくて辛い気持ちを、ちゃんと知ってくれている。それだけで、もう十分だ。

 本気で『好きだ』と言ってくれた龍悟は、まだ少しの間は涼花の事を想ってくれるだろう。けれど龍悟は涼花と口付けて肌を重ねる度に、記憶が真っ新な状態に戻ってしまうのだ。

 そんな不確実な関係に龍悟が固着する必要はない。涼花への気持ちなど早く忘れた方が、彼の為になるのだ。

 龍悟は時間が経てばいつかまた誰かと恋愛ができる。全ての思い出や感情を共有できる人と、新しい恋に落ちることが出来るはずだ。
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