社長、それは忘れて下さい!?


   *****


 一方、執務室から出た二人は、エレベーターの前までは無言だった。しかしエレベーターのボタンを押すと同時に、旭は驚きと呆れと少しの気恥ずかしさが混ざった声で龍悟に向かって唇を尖らせた。

「社長。涼花に何したんですか?」
「いや……俺は別に、何も……」

 していない。とは言えない。

 だが龍悟も驚いた。めったに笑わない涼花が、今日は朝からコーヒー豆の香りに浮かれてとびきりの笑顔を見せてくれた。涼花はコーヒーが好きだから、焙煎したばかりの新しいコーヒー香りが余程好みのものだったのだろう。

 けれど今までは、そうだとしてもあんな風に笑ったことはない。頬をくすぐられた赤ん坊のような、咲き綻んだ花のような、優しい笑顔で。いつも緊張したように気を張っていて、冗談を言ってもからかっても動じないのに、コーヒー豆一袋であんな笑顔を見せるなんて。

 ほぼ初めてに等しい涼花の笑顔を真正面で受けたせいで、思わず言葉を失ってしまった。きっと旭も同じだったのだろう。

「涼花にコーヒー豆持たせて社内を歩かせてみます? きっと、あっという間に寿退社ですよ」
「……」

 少しも冗談に聞こえない旭の台詞に、龍悟はただ唸ることしかできなかった。
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