ファム・ファタール〜宿命の女〜

 あの正気の沙汰とは思えない行為の後、急に我に返った洗井くんは「ごめん、ごめん」と私に謝り倒した。その姿が、さっきの洗井くんは一体なんだったんだ?と、私をより一層混乱の渦に陥れる。
 放心状態の私を見て申し訳なく思い、洗井くんは決心したのだろうか。ふぅ、と深呼吸をしたあと、今まで秘密にしていたことを私に打ち明けてくれた。

 なんの冗談なんだろう?というか、あの真面目な洗井くんからこんな冗談が出てくるだなんて……というのが、洗井くんの秘密を聞いた第一印象だった。

「って、信じられないよね。ごめん」

 私の心を見透かすように、洗井くんが謝る。だけど、あの恍惚とした表情で血を舐める姿を思い返せば、なるほど、と納得してしまえる。

 「うぅ。ちょっとキャパオーバーで……頭の中整理してもいい?」

 私が頭を抱えながらそう言うと、洗井くんは「ほんと、ごめん……好きなだけ整理して」と申し訳なさそうに頭を下げた。

「って、時間大丈夫?もう遅いから、俺送るよ」

 ベンチから腰を上げた洗井くんの言葉で、私の意識はやっと時間を気にするまでに覚醒する。さっきまでは夢の中にいるようで、ふわふわとしていたのだ。

「あ、ほんとだ……」

 友達の家に遊びに行くね、と連絡を入れたとはいえ、親も心配しているだろう。あと、亜美ちゃんも。
 スマホを取り出せば案の定、お母さんと亜美ちゃんからメッセージと電話がきていた。「ごめん、親に連絡だけしとく」と洗井くんに断りを入れ、素早くメッセージを打つ。
 お母さんには『今から帰る』。亜美ちゃんには『告白できなかった』と、言える事実だけを送った。

 洗井くんは、私がスマホを通学カバンにしまうところを見てから「明石さんて、増井中だよね?」と聞いてきた。
 その質問に「うん」とだけ返す。私の通っていた中学は、洗井くんが通っていた中学校の隣の校区なのだ。

「じゃあ、こっちか。送ってくよ」

 どうやら本当に家まで送って行ってくれるらしかった。2人で自転車を押しながら夏の夜道を歩く。数時間前の私からすれば夢のような光景なのに、今の私には考えることが多すぎて純粋に喜べないことが悔しい。

「今日、ごめんな、ほんと。結局明石さんの話も聞けなかったし……」

 ぽつりと呟いた洗井くんの言葉で、そういえば告白できなかったなぁ、と気付く。
 結局私が告白をするより、洗井くんとの距離が縮まった気がするので結果オーライなんだけれど。

「いいのいいの。それはまたの機会で」
「……うん。……あのさ、日曜日会わない?2人で」

 ん?聞き間違いかな?信じられない言葉が聞こえたようで、「なんて?」と聞き返す。

「今度の日曜日、2人で会いたい」

 やっぱり!やっぱりそう言ったよね!!私は被せ気味に「はい、よろこんで!」と返した。なんだか居酒屋みたいになってしまった。
 「やっぱり明石さんて面白いよね」と洗井くんが楽しそうに笑うので、居酒屋みたいな返事も、今日聞いた洗井くんの秘密も、もういいや、と。洗井くんが幸せそうなら、私はそれでいいや、と思ったのだ。

 それからは他愛のない話をした。期末考査の結果のこと、楽しみにしているテレビ番組のこと、最近ハマっているアーティストのこと、洗井くんのおすすめの小説に、私の大好きな漫画の話。
 
 そして私の家が目と鼻の先という所で、「ここでいいよ。ありがとう」と立ち止まった。
 洗井くんはまた「今日はほんとにごめん」と謝罪の言葉を口にする。

「もうごめんは、なしにしよう。本当に気にしないで」

 私は、洗井くんの心の重りを少しでも取り払えたらいいな、と努めて明るく、そして優しく告げた。
 洗井くんにも伝わったのだろうか。その言葉を聞いて「ありがとう」と微笑み返してくれる。

「あ、あと。今日聞いた話は誰にも言わないから、安心してね」

 なんとなく洗井くんからは言いづらいかな、と思い、私から言えば、洗井くんは「助かる」と胸を撫で下ろした。
 そんな安心しきった顔を見せられてしまえば、絶対に約束守るからね!と私は心の中で固く誓った。

 洗井くんに手を振り、遠くなっていく背中を見届けてから家へ向かう。
 帰宅時間が遅くなったことについてお母さんから少しのお小言を頂戴し、食卓に着いた。大好きなナポリタンだ。
 晩ご飯を食べ終えると、お風呂と歯磨きを急いで済まし、ベッドに潜り込む。火照った身体にひんやりとしたブランケットが気持ち良い。
 今日はすごい日だったなぁ……。そんなことを考えていると、ふいに私の血を舐めている洗井くんの顔が鮮やかに思い起こされ、私は顔を真っ赤に染め上げる。
 普段の洗井くんからは想像もつかないほど、情熱的で、や、や、や、やらしかった……!!私は悶えてしまいそうなほどの羞恥を感じ、ベッドに顔を埋めた。ほんとなら叫んでしまいたいのだが、そこはグッと我慢だ。
 それより、何よりも優先して、今日打ち明けられたことを真剣に考えた方がいいのだろうが、睡魔に襲われた今の私では到底無理だ。
 とりあえず今日は、明後日の日曜日を楽しみに寝てしまおう。そう決心し、瞼を閉じた。
 あ、亜美ちゃんに返信してないやぁ……。
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