恋降る日。波のようなキミに振り回されて。

第14話 みかんをひとつ

 期末テストは、命からがら終える事ができた。相変わらず野際は学年トップ。今回はすべての教科で一位を取った。本当に頭がいい奴だ。わたしはそんな神に教えてもらった数学以外は、誰にも言えない点数だった。とにかく終わったんだ。ようやく部活に専念できる。冬休みに入って、朝から夕方まで練習三昧。ただ夕方は、船に乗る時間にはもう日が落ちているから、時間がたつのが早い気がする。

 年末年始、わたしは自宅と親戚の家へ往復する事が使命だった。父方の本家と分家、母方の本家と分家が、それぞれに合計六軒ある。いとこ達に会えるのはうれしかった。遠方の他県から帰ってくる親戚は格別にうれしい。おじちゃんもおばちゃんも元気そうだし、お土産に、もちろんお年玉も期待大。うちはお年玉はそのまま母さんに渡すシステムになっているのだが、最近は弟たちがその事について母さんに抗議していた。どうせまたゲームを買いたいんだろう。自分が持っていても母さんが管理しても、買うゲームに違いがあるとは思えないのは、わたしがゲームに興味がないせいだろう。

 とにかく夜遅くまでいとことしゃべりまくったし、婆ちゃんとおばちゃんの手作り料理を食べ尽くした。広島から帰ってきたおばちゃんの、広島風とはちょっと違うお好み焼きは絶品で、私は必ずリクエストしてる。おばちゃんはイカのゲソを入れるのが好きだったので、お母さんにゲソの確保を年末に頼んでおいた。お刺身類の中では、サザエのお刺身が一番かな。好みの問題かもしれないだろうが、わたしは冬が一番おいしい気がする。女同士のいとこ達とはキッチンをうろうろしながら、次食べる物を物色し、男同士のいとこ達は、うちの弟達を筆頭にゲームに(いそ)しんでいた。

 年末年始の6日間で、5キロくらいは太った自信がある。新年最初のテニスの練習に行く準備をしていると、母さんからみかんがたくさんあるから、部活のみんなに持って行ってあげなさい、と言われた。重いのに、仕方なく段ボールいっぱいのみかんを持って、船に乗った。椅子に座ろうとして、みゆきの後頭部を見つけた。そばに近づくと、みゆきもなにやら段ボールを横に置いている。何が入っているのか聞いてみたら、年末年始に残ったお菓子を部活に持って行け、と言われたらしい。お互いの事情がわかって、ふたりで大笑いした。

 バスから降り、段ボールをみゆきと抱えて高校に向かっていると、

「あれ、矢歌?」と後ろの方から、新年にふさわしい人物に声をかけられた。
「先輩あけましておめでとうございます」後ろを向いて、月先輩に年始のあいさつをする。いとこ達と散々楽しく過ごした日々が、かすれるほどうれしかった。
「あけましておめでとう。で、その段ボール何?」と聞かれて、途端に恥ずかしくなる。新年早々に焦る。
「家にみかんがたくさんあって母が持って行けって言うので」とありのままをありのままに、恥ずかしく言うしかない自分。
「重いだろ。持とうか?」先輩の優しい一言に、思わず顔をあげる。だけど、
「いえ、みゆきも同じように段ボール持ってるので」と丁重にお断りする。
「はーちゃん、持ってもらったら?こっちはお菓子なんだから」みゆきはそういうと、段ボールの中からぱんぱんのナイロン袋を1つ出して、私によこした。
「じゃ、みかんは僕が持つから」月先輩は、わたしから段ボールを取り上げた。わたしは流れ作業のように、みゆきからのナイロン袋を受け取った。

 奇妙な3人組になってしまった。みゆきがいてくれる分照れはしないが、このまま学校に行って、もえに会うのが怖くてたまらない。女帝がいませんように、いませんようにと願うばかり。校門を通り過ぎ、運動場に着いたので、月先輩から段ボールを受け取ろうとした。

「先輩、ここで大丈夫です。ありがとうございます」重たかったので、本当に助かった。
「いいよ。部室まで持って行くよ」なんていい人なんだとかみしめながら、
「いえ、陸上部の部室と方向違うじゃないですか」陸上部の部室はここから右。テニス部は左だった。
「今年から部室サッカー部と入れ替わったんだ」思いがけない一言に固まるわたし。
「あっ、そう言ってましたね」みゆきがにこやかに相槌を打つ。
「お互い、替わった方が色々便利だからね」そう言いながら、月先輩は右に歩いていく。みゆきも右に歩いていく。わたしもやや遅れて歩いていく。なんだこの縦3人状態。

 結局、もえはまだ部室におらず、月先輩に部室の前で、段ボールを渡された時は安心したけれども、別の問題の方が大きい気がした。

「みゆき、部室が入れ替わる件知ってたの?」着替えるみゆきの横から尋ねる。
「サッカー部の主将から聞いてたよ」寒いせいか、せかせかと着替えていくみゆきに、それ以上何も言えなかった。

 なんで教えてくれなかったんだと、聞いても意味のない事だ。聞いてたところで、心の準備なんて事もできないし。仕方なくわたしも着替えはじめた。うー、寒っ、と思いながら制服を脱ぐ。まだ冬休み中なのに、制服で部活に来たのはみゆきのせいだ。新年なんだから、きちんとした格好で学校に行こう、と昨日の夜電話してきたのだった。訳の分からないこだわりに付き合ったせいで、こんな寒い思いをする羽目になった。着替えたジャージがまだ冷たいまま、鳥肌を(おお)っている。ラケットを持って出ようかと思ったら、みゆきがナイロン袋の音を立てていた。

「何してるの?早く行こうよ」ラケットのグリップを、手の中で回転させながらみゆきを()かせる。
「これ陸上部に持って行こう」と自分の持ってきたお菓子と、わたしの持ってきたみかんを袋詰めしていたのであった。

 まあ確かにお礼はしないとね。たくさんあることだし。部室から出ようとした私に、みゆきがナイロン袋を渡してきた。

「え?わたしが持って行くの?」みゆきの後ろにいればいいと思っていた。
「私、備品をチェックしたい」なぜ、今なのだ。

 みゆきには逆らえないから、ナイロン袋を持って隣の陸上部の部室に行く。2つあるが、さっき月先輩が入った方を間違いなくノックする。いなかったらいいのにと期待しながら。だけど、いるんだなこんな時に限って。

「はーい。あっ、矢歌どうした?」白のジャージの上下を着ている先輩。なんだかものすごくご利益のある神様みたいに思えた。
「さっきのお礼です。少ないかもしれませんけど」わたしは心の中で合掌した。
「別に良かったのに。ありがとう」先輩は笑っていた。
「先輩、いつまで部活に来るんですか?」八百万の神々の中で、暇で仕方ない神様がいたのだろう。いつものわたしなら、絶対ありえない質問をしてしまった。質問しておいてあたふたする。
「いや、特に意味があるわけじゃなくて、あの、いいんです。では」そうたたみ掛けて去ろうとした。いつのまにか鳥肌は消えている。
「待って、矢歌」先輩が部室出てきてわたしを止める。左手にはまだナイロン袋を持ったままで。

 少しだけの沈黙なのに、別空間に飛ばされたかのように、私達二人は切り取られた。

「変な質問してすみません」
わたしは下を向いていた。そこは白い空間だった。(ほそ)ーく、細く赤い碁盤の目が引かれている。
「いや、そんなことない」
無重力空間なのか、下は下でなく、わたし達はゆっくりと向かい立ったまま漂った。けれども二人の位置が根本的に変わっていない事は、碁盤の目が教えてくれる。
「大学でも陸上するんですもんね」
足りない言葉が空間から追い出される。赤い線がさらに細くなる。わたしは何を頼りにしていいのかわからなくなった。
「卒業式が終わったら大学の方に引っ越ししてあっちの練習に合流なんだ」
そっか。そうだよね。この人の大学は他県だったと、改めて思い知らされた。目が回ってきた。
「ですよね。楽しみですね」
わたしは全然楽しくなかった。それは過去の自分なのか、今の自分なのか。足もふらついてきた。
「まあね。あのさ、」

「おっ、ナオマサ新年早々後輩いじめてんのぉ?」現実世界に私達を引き戻した声の持ち主は、昨年先輩と玄関で合宿の話していた時にふざけて絡んで来た、先輩の同級生だった。なんでこの人がここにいるんだろうか。

「お前、なんだよ」先輩の口調が変わった。仲がいいからかな。
「怒るなよ。部室に来たらダメなのかよ」先輩の笑顔とは全然違う、だけどきっとモテるんであろうと、推測できる笑った顔。校則はどこにいったのかと思うくらいの、肩までありそうな茶髪がさらさらして光っている。
「怒ってないだろ。部室変わったんだ。サッカー部は向こうに移動してる」なるほどサッカー部の人だったんだ。言われればサッカー部っぽいかも。どこがと言われても困るけど。
「なーんだ。そうなんだ。けどまあ、そのおかげでいいもん見れたよ」と先輩の持っているナイロン袋に、手を突っ込んでみかんを取った。
「矢歌さん、この男、部室のぞくかもしれないから気をつけなよ」とわたしの方を向いた。笑いながらなんて事を言うのだろうか。
「何言ってんだお前!みかんも取るなよ!」先輩が本気で怒ってるように見えた。みかんを取り返そうとする先輩の右手を、なんなくかわすおふざけ先輩。その動きに、この人はサッカー部だと確信した、単純なわたしの脳みそ。
「部外者は立ち去るんで、続きをどうぞ」そう言って、リズミカルに立ち去って行った。その向こうから、テニス部と陸上部の他の部員が来ているのが見えた。

 そんな状況で続きなんてあるわけがない。先輩に失礼しますと頭を下げて、わたしはテニスコートに走って行った。制服を着て来たから、こんなことが起こってしまったのだろうか。良いかの悪いのかもわからない。ただ、先輩はあと2か月くらいでいなくなる。それだけがはっきりした。はっきりした現実ともやもやした心中を、わたしはジェンガの様に積み上げるのだった。

つづく
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