恋降る日。波のようなキミに振り回されて。

第15話 白い息

 3学期が始まった。船の外のベンチに座ると、もろに冬の凍てつく風を顔に浴びる。それでもなおわたしは外に座り、卒業式まであと何日あるのか、手帳のカレンダーを見た。簡単に数えられるほどしかない。白い息が海風に混じる中、あと何回月先輩を見ることができるのだろうかと、そればかり考えていた。船から降りてバスに向かう途中で、

「はーちゃん、もしかして外にいたの?」と青のフリースのネックウォーマーをしたあーるが話しかけてきた。
「そうだよ」やっぱり寒過ぎたと思いながら返事をした。
「おれも一緒に座ればよかった」とあーるは隣りで歩きながらぼやくように言った。
「なんで?」わたしは鼻水をタオルハンカチを止めて、隣を見る。
「なんでって、一緒にいれば楽しいから」バス停に着く直前だった。

 わたしは自分の心が大きく揺れ動くのを感じていた。さっきまで月先輩の事を考えていた。なのに今は目の前のあーるを意識してしまっている。バスが来て、吊革に掴まったわたしのそばにあーるが来た。わたしは反対側のみゆきと話をする。だが、みゆきはあーるにも話を振る。みゆきはそういう優しき人類だ。

「あーる君、2学期の成績も良かったみたいね」わたしの前をみゆきの言葉が通り過ぎる。
「よゆーです」万年成績トップのあーるは笑って答える。
「私もそんな風に言ってみたいな。ね、はーちゃん」いきなりみゆきの言葉がカーブする。
「そっ、そうだね」焦って答えるわたし。
「はーちゃんはさ、数学、野際君に教わったんでしょ。他の勉強も教わったら良かったのに」みゆきの知らない地雷に、わたしはあーるを見る。あーるは急におもしろくなさそうな顔をした。
「野際君優しいよね。物理部の部長さんだから、あーる君も知ってるよね」みゆきは話し続けた。
「野際君は一年生の時にクラスが一緒でね、はーちゃんが楽しそうに話せる数少ないクラスメイトの一人、だったんだよ」みゆきはあーるの方を向きながら笑っている。
「みゆき、それはわたしに失礼だよー」とわたしは棒読みの苦笑いで返す。
「だってそうじゃない。でもきっかけはなんだったの?気が付いたらもう野際君とは友達だったでしょう?」もう野際の話題を、これ以上出さないでほしいわたしは頭痛がしていた。
「そんなのもう忘れたよ。そういえばさ、ラケットのガット張り替えの事なんだけど」と無理やり話しの方向を変えた。

 ちょうど今日は、部活にスポーツ店の人が来る日だったから、相談しようと思っていた。バスを降りても、わたしはみゆきにテニス用品の話を続けた。と言うのも、わたし達にあーるが黙ってついて来ていたからだ。また「野際」というフレーズが出てこないように、わたしは靴箱にたどり着くまで、とにかくしゃべりまくった。おかげで朝からものすごく疲れてしまった。席に着いた時にはぐったりだった。

 昼休み、担任から呼ばれて職員室に行った。何かと思えば2学期末のテストの結果についてだった。もう少し成績を上げないと、第一希望もさることながら、すべての大学に届かないと言われた。実は二学期に書いた、進路希望の第一希望は、月先輩の進学先にしていた。進路と言えば、そこしか思いつかなかった。だから、その大学に入るための偏差値なんてよく知らなかったし、何の勉強をするべきなのかもわかってなかった。今にして思えば、なんたる不純な動機を希望表に書いてしまったのだろうか。目の前で、真剣に進路について話す担任に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 午後からの授業が、5限だけで早く終わった放課後は、いつもより活気づいているように感じられる。わたしは特に練習を急がず、バレー部の友人達と話しながら教室にいた。バレー部は美人ぞろいで、最初は圧倒されて近づき難かったが、いざ話してみると気さくで楽しい集団だった。バレー部の面々も、早く授業が終わったからといって早く部活にいくわけでもなく、だらだらとおしゃべりが続いた。そのうちの一人が、

「そういえばさ、サトが写真撮ってくれるって言ってなかった?」サトのフレーズに固まるわたし。
「言ってた言ってた。今から行ってみる?」バレー部は乗り気だ。わたしは、
「そうなんだ、じゃあわたしは部室行くね」と荷物を持った。
「矢歌さんも一緒に行こうよ」無垢に誘ってくれる言葉が辛い。
「そーそー。みんなで撮ってもらおー」だからそういう気遣いは不要なんです。

 バレー部は五人。多勢に無勢でわたしは勝てるはずもなく、六人で技術室に行った。葉山と会うのは気まずいのだ。どうにか話しかけられないように、普段から気をつけていた。教室から出ることも覚えた。それは良いことなのかもしれないけれど。渡り廊下を通り、三階にある技術室に行った。ドアを開けて、

「サトー、いるー?」バレー部の勢いはすごい。単刀直入さに感心してしまう。
「来たよー、サトー、いるー?」我が家のようにぞろぞろ中に入っていく。

「いないんじゃない?帰ろうよ」と技術室に入るのをためらうわたしだった。

 あれだけ避けていて、どんな顔をして葉山に会えばいいのかわからないし、あの謎の告白を謎のままで終わらせたい、という気持ちもあった。嫌な事から逃げてしまうのは、わたしの短所だけど、もし葉山の言葉が本気だったら、と思うとやはり答えが出ないでいた。その方が自分に都合がいいからだ、という事も気づいているのだけれど。

「いるよ、待ってて」と技術準備室の方から声が聞こえた。葉山だった。いたんだとわたしはため息をつく。

 技術準備室から、ニコニコして葉山は出てきた。サトと呼ばれる時の顔だと、わたしは思った。バレー部がサトを取り囲み、写真をどこで撮るのか話が進んでいた。わたしは後ろの方で、なぜ早く部活に行かなかったんだろうかと後悔していた。

「だから、そこの階段でいいんじゃない?矢歌さんどう思う?」いきなり話を振られた。
「いいんじゃないかな。バレー部は美人ぞろいだから」とどこでもいいと言わんばかりの言葉が丸出しだった。

 わたし達は技術室を出て階段に行き、一段づつずれて立った。やはりバレー部だけが良いんじゃないかと言ったが、バレー部の一緒に写ろうという圧に負けてしまった。それぞれ好きなポーズをしてそれを葉山が、いやサトがいいねーと褒めながらシャッターを切る。わたしはバレー部のノリについていけないと改めて思った。自分とは違う生き物なのだろうと思いつつも、その場に合わせて笑顔を作った。

「現像したら教えてね」と撮影会が終わる。
「え?現像って、葉山君がするの?」わたしは疑問をそのまま言葉にしてしまっていた。
「だってサトは写真部だよ」バレー部は口々に言う。写真部だからって現像ができるものなのかと、私の気持ちは疑問形のままだった。
「じゃ、サトありがとー」バレー部と共にわたしも去ろうとしていた。

「矢歌さん待って」いつか言われるんじゃないかと予想していた言葉が、このタイミングできた。
「部活行くから」と弱弱しい声しか出ない。
「例の話なんだけど」と言われてビクつく。バレー部の子らがいるのにこれ以上話を聞かれたくなかった。
「あっ、そういえば。ここじゃ寒いから技術室もどろう」とバレー部に別れを告げてわたしは技術室に入った。私の後からサトも入ってきた。

「なんでみんなのいる前で言ったの?」後ろを振り返って、少し大きな声で抗議した。
「なんでって、ああでもしないと矢歌と話できない」とカメラを置いたサトは、葉山の顔になっていた。
「僕の事ずっと避けてるでしょ。だからこの機会を逃したくなかった」カメラを見ていた目を、わたしの方に向けた。まっすぐに、わたしの顔を見据える二つの瞳。
「あのさ、前にも言ったけど、わたしじゃなくていいじゃん。さっきみたいにバレー部とも親しいんでしょ。バレー部はあの通り美人ばっかで性格も良くて、ああいう子に告白してみたら」今度はわたしが置かれたカメラを見た。葉山の顔を見てはいられなかった。
「そういう子が良ければそうしてる。僕は矢歌がいいんだ」葉山が一歩わたしに近づいた気がした。
「冷静に考えようよ。わたしは美人でもなんでもないし、頭悪いし」わたしは一歩後ずさりをした。
「冷静じゃなくていい」一言(ひとこと)言ったと思った次の瞬間、葉山はわたしの目の前まで間を詰めてきた。

 後ろに下がろうとした私の腕を掴む。そういえば前にも掴まれたっけ。だけど、あの時みたいに逃げられない。技術室のドアは葉山の向こう側だ。自分から技術室に入ってしまった事を悔やむ。きっと、わたしの顔は真っ赤になっているに違いない。冬の寒さなどどこかに消えてしまった。小さかった鼓動が段々と大きくなる。この鼓動は一体どこから、何から生まれたんだろうか。

「矢歌、僕はあの日からずっと君の返事を待ってる。君を焦らせたくなかった。だけど、君の事が好きだから、毎日気になるんだ。君は野際と仲良いよね。彼がうらやましかったし、ちょっと憎くもある。だって君は、彼と二人っきりでも笑顔が絶えないんだから。あと、海阪(かいさか)とも一緒にいるとうれしそうにしてる。同郷の先輩後輩だからって理由だけじゃない雰囲気があるよね。僕はあの二人に敵わないのかな」葉山は掴んだ手の力を緩めた。右の口角のほくろが、悲しい顔をしていた。

 わたしは野際とあーるの話が出て、ますます恥ずかしくなった。自分の知らないところで、葉山に見られていた事も信じられなかった。そして葉山が二人に対して、自分を比べるように感じていたなんて。とにかくこの状況から逃げたい。でも葉山を傷つけたくない。すべてが丸く収まる、魔法の言葉がどこかにないか、わたしは顔を下に向けた。

「わたし、今から、スポーツ店の人と、ラケット、のガット、の話、しないといけない、から」
 ぽつりと、何も救いのない逃げの言葉しか出てこない。
「わかった」
 葉山は思いのほか簡単に腕を離してくれた。
「写真の現像楽しみにしてるね」
 わたしは葉山に対してこれ以上の言葉をもたなかった。

 技術室を出て教室に戻る。荷物を持って部室に急ぐ。息切れをして白い息を短く吐く。大きかった鼓動が、いつの間にか小さくなっていた。ただ葉山の言葉が、まだ背後からついて来ているようだった。
 それを人は「うしろめたさ」というのだろう。

 つづく
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