バカ恋ばなし
「いやー寒いねえ~。まさに旅行日和だねえ~」
沼尻先生は遅れたことには一切触れず、挨拶代わりに若干嫌味交じりの言葉を初っ端から吐いてきた。
「おはよーございます。お待たせしてすみません。」
石家先生は挨拶と同時に遅れたことを申し訳ないといわんばかりにお詫びを言ってきた。
(やっぱり石家先生は礼儀正しくて素敵だわ……それに比べてあのオヤジは礼儀知らずの根性悪だわぁ……)
私は二人を見比べながら改めてそう思った。
「よ~しみんな揃ったな!そんじゃバスへ乗ろう!」
米倉主任が勢いよく声をかけ、皆が一列に並んでバスに乗り込んだ。私はバス車内の臭いにやられて車酔いをすぐ起こしてしまうので、中間の位置にある2人掛け座席に一人で使わせてもらった。その後ろには広瀬と松田が座った。米倉主任と前田師長は前方、谷中さんと木村さん、山田さん、平田さん達ベテラン看護師連中と沼尻先生、石家先生は後方の座席に座った。
バスが発車して間もなく、米倉主任が颯爽とマイクを取って立ち上がった。
「みなさ~ん。改めましておはようございま~す。今日は待ちに待った病棟旅行です。あいにく小雨になってしまいましたが、楽しんでいきましょう!T温泉は東北地方でも5本の指に入るほどの名湯と言われています。みなさん、日頃病棟勤務でストレスが溜まりまくっていると思いますので、ゆっくり温泉につかって、うまい料理を食べて、うまい酒を飲んで大いに楽しみましょう!」
米倉主任は若干鼻にかかった裏声で満面の笑みを浮かべながら挨拶をした。挨拶後、車内に拍手が鳴り響いた。
「よっ!主任!いいねえ~」
沼尻先生がハイテンションで合いの手を入れてきた。その後、一木さんから改めて挨拶があった。
「み、皆さんおはようございまーす。こ、今回この旅行を担当しますB旅行会社の一木と申します。ど、どうぞよろしくお願い致します。こ、今回行きますT温泉は、さ、先ほど米倉様からもお話がありましたが、国内でも5本の指に入る名湯です。み、皆様は産婦人科病棟のお医者様と看護師様ということで、日々多忙な日々を送られていると思われます。こ、この2日間の旅行で、疲れを癒して気分をリフレッシュできれば幸いです。わ、私もせ、せ、精一杯皆様のために2日間務めさせていただき、た、楽しい旅行にしていきたいと思いますので、よろしくお願い致します。」
一木さんは緊張して少し震えがちな声ではあったが、皆への気遣いを込めて丁寧に挨拶をしていた。挨拶中周囲では缶ビールや缶焼酎のプルタブをプシューっと開けていたり、お菓子の袋をガサガサ開けている音が所々聞こえていた。多分皆はそんなに挨拶を気にして聞いていない様子だった。
前田師長にマイクが渡され、簡単な挨拶があった後にやや年配の恰幅の良いベテランそうなバスガイドさんから今回の一泊二日の旅行の行程について説明があった。
「本日バスガイドをつとめさせていただきます……」お菓子の食べるサクサクという音が所々で聞こえた。やっぱりガイドさんの話も半分聞いていないような雰囲気であった。ガイドさんの説明後、米倉主任は梅酒やビールの缶を持って立ち上がった。
「なあ、梅酒持ってきたから飲むか?師長はハイボールか?」
「先生たちも飲むか?沼尻先生はワンカップか?石家先生はビールでいいか?」
米倉主任は「飲むか?」「飲むか?」と皆に声をかけながらバス車内の通路をうろつき、ついに私のところにまできた。
「丸田は何飲むか?ビールあるぞ。それとも梅酒か?」
「いや、大丈夫です。」
「何だ?お前酒飲まないのか?看護部旅行のときは飲んでたじゃんか。」
「はい、すみません。今はまだちょっと……」
「なんだ~飲まないのか~。まあいいや。」
米倉主任は若干つまらなそうな表情を浮かべた。そして後ろの座席にいる広瀬と松田のところへ行き、「飲むか?」とお酒を勧めていた。
(すんませんねぇ~飲まなくて。酒は苦手なんだよ。)
米倉主任は通路に立って「それじゃあかんぱぁ~い!」と張りのある声で乾杯の音頭をとり、梅酒を片手に序盤からハイペースで飲んでいた。谷中さんたちベテラン勢と広瀬、松田は、ビールを飲みながら談笑しており、車内に明るい笑い声が響いた。私はバス車内の臭いが苦手なため、酔い止め薬を飲み、目を閉じて寝ようとしたが、米倉主任の話声とみんなの笑い声がかなり響いていたため、なかなか寝付けなかった。石家先生はというと、沼尻先生と真面目な顔で昨日の手術のことや治療についての話をしていたが、谷中さんや木村さんたちからいろいろビールやお菓子を勧められ、飲み続けているうちにだんだん酔いがきたのか話声がヘロヘロした感じになっていた。沼尻先生は普段からマシンガンのように勢いよく早口で話す上に声がデカいのでハイな感じだが、今回は酒を飲んでいるせいか最初からかなりハイになっていた。米倉主任に負けず劣らずの飲みっぷりで序盤から飛ばしているので、多分先生は相当なストレスを抱えて毎日を過ごしているんだなぁと想像できた。この後酔った勢いで喜屋武教授の悪口をガンガンぶちかましそうな恐ろしい予感がしたが、意外なことにバスの中ではほとんど出てこなかった。バスは高速道路に入っていき、T県外に出た。石家先生は缶ビール立て続けに3本も空けており、酔ってハイになったのか谷中さんや山田さん、沼尻先生たちと談笑して盛り上がっていた。車内で笑い声がだんだんと大きくなっていき、賑やかさが増していった。私は酔い止め薬の効果を期待してゆっくり寝ようと目を閉じても周囲のけたたましい笑い声や雑談のおかげでなかなか寝付けず、しかし寝ないと気持ち悪くなりそうなので、我慢して目を閉じていた。そのうち眠くなるだろうと思い、ずっと目を閉じてはいたが、やはり寝付けなかった。
(せっかく楽しみにしていた旅行で、気持ち悪くて吐き気との闘いになったら嫌だなあ……)
そう思っているうちに最初のトイレ休憩であるパーキングエリアに到着した。その後次の停車場までは酔い止めが効いてきたのか、眠ることができた。

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