アクセサリーは 要りません
「そろそろ、教室に向かわなきゃ」と思いつつ、惠美里は所々ピンク色に色付いている山々を見ながら1年前の事を頭に浮かべていた。

大学4年生になる春を目の前にして、世界中がコロナに巻き込まれ始めていた。自己分析も終わって、さぁ就職活動スタートという時期だった。隣の国のウイルスのニュースと思っていたら、あっという間に巻き込まれ、インターンどころか講義も就活も全てが今までとは違う方法になり、大学も企業も私たちも、世の中全部が手探りの状況になった。

小学校2年生から5年生の3年間は総合商社勤めの父の仕事の都合でアメリカで生活していた。帰国後も父は海外に単身赴任しているときもあったり、東京勤務になっても海外出張が多く、母親は今でいうワンオペでの子育てで、姉と私を育ててくれた。父は姉が就職、私が3年生になる春にニューヨークでの単身赴任を終え日本に帰国した。単身赴任といっても私たちももう大学生だったので、母は好きに行き来して、ビザなしで滞在できる3ヶ月MAXで過ごして帰国して、4ヶ月過ぎると時期をみてまた渡米を繰り返し、ミュージカルを観たり、美術館の年パスを買って通い詰めたり、ボランティアをしたりニューヨークで楽しんでいた。

大学は、1年生の9月から1年間、私もニューヨークへ交換留学にも行って、その上教職も取っていたので、帰国後は夜の講義も取ったり忙しかった。でも、母校に教育実習に行ったり、日本へ仕事をしに来ている外国人の奥様や子供たちに英語で日本語や日本文化を教えるという家庭教師のようなアルバイトをしたりして、充実した、そして、とてもとても、真面目な学生生活を満喫していた。
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