もう一度やり直したいんです〜すれ違い契約夫婦は異国で再スタートする〜

ありがとうと、さようならと……

「おやすみ。小春」
「おやすみなさい。楓さん」

 楓さんがベッドサイドの明かりを消すと、ベッドルームは窓から差し込む柔らかな光を除いて、ただ暗い空間となった。室内に響き渡る物音も、外から聞こえてくる車の音やお互いの声と息遣い、身動いだ時に立てるベッドのスプリングの音や衣摺れの音だけとなり、それらが無い時は夜の静寂が部屋を満たしていた。

「寒くないか?」
「はい」

 楓さんから結婚指輪を貰ったその日の夜、私達は初めて同じベッドで眠った。これまで私はベッドルームのベッド、楓さんはリビングルームに予備の布団を敷いて寝ていた。同じ部屋の中で別々に寝た事はあっても、こうして二人で寝るのは初めてだった。照れ臭い反面、どこか嬉しい気持ちになる。
 ダブルベッドに二人並んで寝そべり、ベッドの中心で身を寄せ合うと、私がベッドから落ちない様に、楓さんは背中に腕を回して、身体を引き寄せてくれたのだった。

「小春」
「はい?」
「明日はどこに行きたい?」
「お仕事に行かなくていいんですか?」
「裁判も終わって落ち着いた。数日くらい行かなくても大丈夫だろう。せっかくニューヨークに居るんだ。今度は自由の女神やエンパイア・ステート・ビルに行ってみないか。実は俺もまだ一度も行った事がないんだ」
「私、美術館に行ってみたいです。ニューヨークって美術館が多いんですよね。今日、ジェニファーと行ったカフェも美術館の中にありましたし、セントラルパークにも有名な美術館がありますよね」
「そうだな。小春は美術が好きなのか?」
「どちらかと言われれば好きかもしれません。画集を眺めるのは好きですし、近所でお気に入りの画家の個展が開催されれば観に行きます」
「俺は美術はさっぱりだからな。印象派だの、写実派だの言われても、全部同じ様な絵に見えるよ」
「美術館に行った時に、日本語の音声ガイドがあれば借りましょう。音声ガイドっていいんですよ。絵の解説以外にも見所まで教えてくれるので」

 空いている手で頭を撫でられて、髪に触られる。楓さんの左手の薬指には私が嵌めている指輪と対となる指輪が嵌められている。あの後、気づいたら楓さんの指に嵌っていたのだった。
 昼間の出来事で身体が疲れているのか、撫でられている内にだんだんと微睡んでいき、やがて意識は沈んだのだった。

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