ままになったら極上御曹司に捕まりました?!
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カランコロンと、ドアベルが軽快な音をたてる。
店内を見回すと、薄暗く灯る赤いランプがカウンターに座る専務の精巧な横顔を照らしていた。
ベルの音に気づいた専務が私に気づく。
「さくら、忙しいのに呼んでごめんな。来てくれてありがとう」
新しい事業で休む暇がなかったせいか、専務の顔はやつれているようにみえた。
「こちらこそ、わざわざ忙しい中なのにすみません」
そう言って専務が引いてくれたイスに座る。
「なにか飲む?」
「あ、専務と同じもので」
久しぶりに顔を合わせたせいが、どことなくお互い気まずい雰囲気が漂っていた。
自分から言い出すべきなのかしら…
だが最初に口火を切ったのは専務の方だった。
「もう聞いたかもしれないんだけど…明後日から海外支社に行くことになったんだ。だから今後のことについて話したくて」
「はい、海外のこと聞きました。本当におめでとうございます」
「ありがとう。それで、俺たちのことなんだけどさ…」
専務から別れるという言葉を聞きたくなくて、自分から遮る。
「あの、私たち、もう終わりにしましょう。上司と関係を持っているのは、やっぱり落ち着かなくて。ごめんなさい」
…それにお母様との約束もあるし、と心の中で呟く。
「…そうだよな、やっぱり、付き合ってすぐなのに長い間待てないよな…」
どうして専務はそんなに悲しそうな顔をするの?
婚約者と楽しそうに歩いていた癖に。
こっちが悲しい顔をしたいくらいよ。
「…もし、さくらが待っていてくれるなら、これを持っていて欲しい。今すぐにとは言わないが、俺が帰ってきたら結婚して欲しい」
そう言って差し出す専務の手の上には、小さなベロアの箱が乗っていた。
これって、婚約指輪…?
「そんな高価なもの、受け取れません。短い間だったけれど、一緒にいる時は楽しかったです。本当にありがとうございました。もう、私帰りますね」
そう言って急いで席を立つ。せっかくの決意が揺らぐ前にここを去らないと。
お母様との約束だってある。
「さくら…!待ってくれ!」
そう言って専務は、急いで去ろうとする私の手を掴み、無理やり箱をねじ込んでくる。
「要らなかったら捨てていいから。さくらのためだけに買ったものだから、売るなり焼くなりしてくれて構わない」
「やめてください!私なんかが受け取れないです」
そう言って専務を見ると、必死な顔をした専務がいた。
…いつも余裕そうなのに、こういう時だけそんな顔するのね。
「お願いだから…っ、受け取ってくれ。捨てても構わないから」
もう早くここから出ないと。
その一心だけで手の中にある箱の感触を握りしめて、店を出る。
…お母様、受け取ってしまってごめんなさい。でも、別れたのでどうかこの指輪だけは許してください。
そう思いながら帰路を走る。
無意識のうちに冷たい涙が頬を伝っていた。
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それから2日後、専務はパリへ飛び立った。
毎日連絡は来ていたが、全て無視を決め込んで通知も消した。
あの後、家に帰って箱を開けると、小ぶりのダイヤがついた可愛らしいデザインの指輪が入っていた。
婚約者がいるのに、身体だけの女にこんな高価なものをあげて結婚しようだなんて。罪深い人ね。
私が婚約者のことを知らないとでも思っていたのかしら。
結婚しようだなんて、軽く言っていい言葉じゃないのに。
専務は、指輪を売っても構わないと言っていたが、あの時の必死な顔を思い出すとそれは出来なかった。
だから、ドレッサーの1番奥の見えないところにしまっておいた。
そして専務が日本からいなくなってから2ヶ月半後。
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『おめでとうございます。妊娠3ヶ月頃です』
ーー専務の子どもを妊娠していることが判明した。
もちろん戸惑いはあったが、喜びの方が大きかった。
専務と私の間には、違う形の愛しかなかったかもしれないけど、それでも贈り物のように来てくれたこの子には感謝しか無かった。
実家に子供を授かったが、父親はいないことを連絡をすると、母は追求することはなく『それならこっちで育てなさい』と言ってくれた。
そうして仕事を辞め、秋の終わり頃、可愛い可愛い悠真を出産した。
でも父親を知らないところで生きていくこの子にも、かつては私が愛していた人との間に出来た子だと分かって欲しくて、亮真さんの名から一文字かりた。
…まさかもう一度出会うなんて思いも寄らなかったけど。