エリート脳外科医は契約妻を甘く溶かしてじっくり攻める
 数日前に同期の東郷(とうごう)という男が、仮眠しようとしていた俺のところへやってきて、雑談ののちにそんなアプリを勝手に入れていったんだった。

 慌てて彼女に弁解しながら、心の片隅で『こんな疑われそうな事実なら、彼女は本心では納得しないのでは』と思ったが杞憂に終わった。

 澪は笑ったのだ。

『文くんは不誠実な人じゃないのはわかってる。私の思い違いでよかった』と、澄んだ瞳でそう言って――。


「お疲れ。ほい、お土産」

 回想してぼんやりしていたところ声がして、同時に視界には〝うどん〟と書かれた箱が割り込んできた。

「東郷!」

 この男は東郷真澄(ますみ)
 研修時代に一緒になったことがあり、留学を終えて戻ってきた際に再会した同期の外科医だ。

 わりに整った顔立ちに物腰の柔らかさも相まって、院内外で女性から人気らしい。
 決して悪い人間ではないとわかってはいるのだが、俺にしたらこっちの気持ちを察して欲しいと思うようなことが多い。
 本人は全部良かれと思っているみたいだけれど。

「なに? もしかして待ってた? 俺が戻ってくるの。シフトすれ違いからの俺の出張だったからしばらくぶりだもんなー。いやあ、天花寺にそんなに好かれてるとは」

 東郷はおもむろに俺の席にうどんを置き、隣の席に腰を下ろす。

「違う。ただお前にひとこと文句を言ってやらないと気が済まない案件があるだけだ」
「文句~? なんだよ。ちゃんと出張前に申し送りしたし、トラブルもなかったって婦長からも聞いたばっかだぞ?」

 東郷は椅子の背もたれに寄りかかり、口を尖らせた。

「お前、勝手に人のスマホ触るなよ」
「え? そんなことあったっけ?」

 こいつはとぼけてるわけでもなんでもなく、本気で忘れている。
 俺は頭を抱え、大きなため息を零した。

「どんな記憶力してんの……つい先週のことだろ。勝手に不要なアプリ入れるとか、やめろよ」
「あ~。あれか。でもノリで登録したくらいでそんなに怒ることでもないだろ? それとも使ってみた? それでなんかあった?」
「あるわけないだろ。とにかく、もうするなよ」

 前のめりでなにを期待してるんだか……。
 冷ややかに返すと、東郷は頭の後ろに手を組んで言う。

「わかったよ。ま、天花寺は確かにマッチングアプリって柄じゃないもんな」
「バッ……お前、そういうの周りに聞こえる声で言うなよ。誤解を招くだろう」
「あ、そうだ。じゃ、今度の合コンに来る? 知り合いの知り合いとかいう方が、天花寺は抵抗ないんだろ?」

 この男はわかってるようでわかってない。
 辟易してノートパソコンの画面に焦点を戻し、淡々と返答した。

「いや、行かない」
「えー。天花寺は院内でもダントツ人気だから、百二十パーセント合コンでも注目されるのに。好みの子に出会えるかもしれないじゃん? まさかまったく興味ないわけじゃないんだろ?」
「そういうの、別に求めてない」

 俺の切り返しに「え! マジか!」と心底驚いた顔をして固まる東郷をその後無視して、俺は仕事を終わらせて職場を後にした。
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