エリート脳外科医は契約妻を甘く溶かしてじっくり攻める
 自宅マンションの玄関を開ければ、自分のと比べて小さな靴が揃えられていて、リビングの電気が点いている。
 そういう些細な光景に、いつしかほっとする。

「ただいま」
「あっ、おかえりなさい。早かったね?」

 リビングに入ると、ダイニングテーブルで真剣にノートパソコンと向き合っていた澪がパッと笑顔に変わる。

 彼女はもうずっと、部屋ではなくリビングで仕事をするようになっていた。

「たまにはね」
「じゃあ一緒に夕食食べれるね」

 素直にうれしい感情を表情で表す澪は、こちらまで頬が緩む。
 いそいそとノートパソコンを片付ける彼女の横顔を見て、思わず片手で抱き寄せていた。

「えっ」

 短く声を漏らして戸惑う澪は、耳を赤く染めている。
 俺のちょっとした行動で反応するのがすごく愛くるしいと思うと同時に、なんだか優越感もあった。

 なんだろう。自分の感情を認めた途端、抑えきれなくなってる気がする。

 俺が帰国した後の澪には思えばこれまで、結構ドキリとさせられる瞬間があった。

 誕生日にどこか行こうかと誘った時や、サプライズのバースデーケーキを渡した時はうれしそうにはにかんでいて自然と俺も笑顔になったし、百貨店でメイクしてもらった彼女はすごく綺麗で……つい見惚れてしまった。
 すれ違う見知らぬ男相手にも牽制するほど、彼女を誰にも見せたくないと思った。

 三年という月日が、これほどまでひとりの女の子を変えるものなのだと、俺は今身をもって知った感じだ。

「ふ、文くん?」
「あ。ごめん。苦しかった?」

 無意識に抱きしめる手に力が入っていたかもしれないと、慌てて距離を取る。

「う、ううん。そういうんじゃなくて……」

 慌てふためく彼女を見て、心底可愛いと思う。

「ミイは癒されるね。犬みたいで」
「犬……」

 軽く頭を撫でるも、澪は喜ぶべきか戸惑っている様子でつい笑ってしまった。

「ごめん。嘘。いや、癒されるのは本当だけど、ちゃんと女の子として見てる」

 身長差のある俺を見上げる彼女が可愛くて堪らない。

 衝動的に距離を縮め、今しがた解放したばかりなのに堪えきれなくて、彼女の小さい額に軽くキスを落とす。澪の反応は想像通りで、頬を染めて固まっていた。

「風呂に行ってくる」

 澪にそう言い残し、リビングを出た。バスルームに入るなり、敢えて頭から冷ためのシャワーを浴びた。

 なぜこの間までの俺は耐えられていたんだろう。

 最近は油断すればすぐに細い腰を引き寄せて、顎を捕らえて口づけたくなる。
 そんな自分が怖くて、常に『冷静に』と言い聞かせているのだが……。

「はあ……」

 誤算が過ぎる。そもそも澪に対してこんな感情を抱くこと自体想定外だし、両想いになって即入籍という流れも未だに嘘みたいな話だ。

 確かにお互い気持ちは同じだと確かめた上でこの現状に至るわけだけど……いきなりグイグイ行くのも……。これまでの関係性もあるから、強引な行動は控えた方が賢明だよな。急な変化は彼女を困惑させかねない。

 シャワーをキュッと止める。カランに手を置いたまま、考えを巡らせる。
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