小さな願いのセレナーデ
もし彼の手を取ってしまったなら、彼女の平穏な毎日が……ようやく落ち着いた暮らしが、崩れ去る未来が見えてしまうから。


「君と居ても、下里さんは幸せになれないと思う」
「知ってます」

まさかのあっさりと、はっきり言い切ったことに少し驚いた。

「正直、自信があると言えば嘘です。私もあまり両親に愛された記憶がありません。彼女と碧維、両方に充分な愛を注げるかはわかりません。だけど私は、晶葉さんと居るだけで幸せなんです。今度は私が、二人に幸せを与えたいんです」


頭を下げて、詫び続ける彼を見ながら──一度だけ、彼女が彼について呟いた言葉を思い出していた。


「……あの人は、こんな幸せを知らないのね」
眠ってる子供を見つめる目は、子供を通り過ぎて遥か遠くを見ていた。
愛おしさに溢れた視線は、この人のことを思い浮かべていたのだろうか。



「はぁ」
思わずため息が漏れて、椅子に深くもたれ掛かる。
するとようやく彼が顔を上げた。

「まさか下里さんの人生に、ここまで関わるとはなぁ……」

本音を言うと……正直まさか、この教え子と長い付き合いになるとは思ってはいなかった。
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