朔ちゃんはあきらめない
 駅前で待ち合わせをしていると「何してるの?」と声をかけられた。生憎今日は今までで一番ナンパなどを相手にしている暇はないのだ。以前エマが、華麗な無視でナンパを撃退していたことを思い出す。わたしもそれに倣い無視を決め込んだのだが、今回の相手は些かしつこかった。
 反応がない相手によくも心折れずにペラペラと話せるな、と呆れを通り越して感心してしまう。思わず同情心から相槌を打ちそうになり、これが手口か?と、はたと気づく。危ない危ない、危うく隙を見せる所だったと気を引き締め直した時だった。

「俺の連れに何か用?」

 おかしいと思ったのだ。一人称が違うし、言葉遣いも少し荒かった。旭さんなら「僕の彼女に何か用事でも?」と言いそうなところだ。
 聞こえた声に釣られて、顔を上げたわたしの目には朔ちゃんの青が入ってきた。これで瞬時に悟る。今日、旭さんは来ないんだ……。

 ナンパお兄さんが「失礼しました」とそそくさと退散した後、わたしも朔ちゃんも何も発言しないものだから微妙な空気が流れた。わたしからは聞きたくない。朔ちゃんから言ってよ、という想いを込めて見つめれば、意を決したように「兄ちゃん来れないって」と唇が動く。
 この兄弟は顔の系統もパーツも似ていないと思っていたが、唯一唇の形は良く似ていることにその時気づいた。上唇の山がはっきりとしており口角が上がっている。そしてぽってりと厚い下唇。朔ちゃんの口元にはピアスがついているけれど、それ以外は本当によく似ている。
 唇をじっと見つめたまま反応を示さないわたしに、朔ちゃんは「大丈夫か?」と不安げな視線を寄越した。

「大丈夫なわけないじゃん……」

 大丈夫か?なんて愚問中の愚問である。わたしのこの気合の入った服装と顔面を見れば、今日をどれだけ楽しみにしていたか分かるでしょ!?よりによってドタキャン。しかも本人から連絡すらないのだ。あまりにも酷い仕打ちに自然と涙がこぼれ落ちた。
 悔しい……こんな雑に扱われていいはずなんてないのに。悔しい。それでも嫌いになれない。

 人目も憚らず泣き出したわたしに、朔ちゃんは絵に描いたような慌てっぷりを見せた。「お、おい、泣くなよ」なんて言いながらズボンのポケットに手を突っ込み、必死に拭くものを探しているのであろう。しかし用意してきていないものをいくら探したところで無駄だ。
 それを諦めた朔ちゃんは「とりあえず、座るか?」と流れる涙を乱暴にその手で拭ってくれた。……メイクが崩れる!と反射的に思ったが、そんなこと今さらな話である。

 
 駅前のロータリーは綺麗に舗装されており、休憩できるようにベンチも備えられていた。そこに2人で腰を下ろし、朔ちゃんはわたしが泣き止むのをただ黙って待っている。気の利いた言葉をかけることもせず、ただ太ももの上に置いた拳を握りしめているだけだ。それがなんだか朔ちゃんらしく、わたしは思わずくすりと笑ってしまう。

「あ?なんだよ?笑うとこあったか?」

 そこは「ひまりには笑顔が似合うよ」とかなんとかあるでしょーよ?なんて思ったが、朔ちゃんが言うなんてそれこそギャグみたいだ。……旭さんならサラッと言っちゃうんだろうなぁ……。

「べっつにー?ねぇ、なんで旭さんが来れなくなったのか、教えなさいよ!」

 わたしには知る権利があると思う。強めの口調で詰め寄れば、「さっきまでピーピー泣いてたのに……」とわたしの変わりように恐怖していた。
 何言ってんの?いつまでもメソメソクヨクヨしてても仕方ないじゃん。さすがの旭さんでもこんなドタキャンはイレギュラーだろう。しっかりと理由は聞いておきたいのだ。

「ってか、兄ちゃんに聞けよ」
「旭さんは教えてくれないかもじゃん……」
「……まぁ、うーん、そっか。うーん……泣くなよ?」

 腹を括った朔ちゃんはそう念を押した。あ、なんとなく分かっちゃったじゃん。



 わたしの予想通り。案の定、旭さんはのぞみさんと居るらしかった。引っ越し先のことで彼氏と揉めて落ち込んでいるのぞみさんをたまたま見かけ、放っておけなくなったらしい。で、わたしとのデートをドタキャンし、暇をしていた朔ちゃんに「代わりにデートしてきてやって」と頼んだ、と……。

「え、舐めてない?わたし舐められてるよね?」
「いや、舐めてるっつーか、兄ちゃんはのぞみちゃんのことになると馬鹿になるから……」

 そこまでか。そりゃあ、長年の想い人とぽっと出のセフレとじゃ比べるのも烏滸がましいよ?だけど、旭さんは「お詫びにデートでも」と自分から誘ってきたのだ。いつものセックスのみの約束じゃない。特別な1日だった。……特別って思ってたのはわたしだけか……。もう涙すら出てこなかった。

「……どーする?もう帰るか?どっか行くなら付き合うけど……」
「……セックスしよ……!」
「……は?」
「朔ちゃん、セックスしよう!」
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