僕と彼女とレンタル家族
第32話 「明晰夢1」
 どうやら僕は夢を見ているらしい。

 不思議な感覚で、僕の視界に広がる光景は過去の映像。愛知県一宮市の2階建で、賃貸で暮らしていた時の光景だ。まだ家族全員一緒に暮らしていて、僕が小学4年生の頃の分団下校している映像を上空から見下ろしていた。

 この時の出来事は、いまでもハッキリと覚えている。このまま家に帰宅しても鍵が掛かっていて入れない。玄関横の窓はカーテンで閉められており、部屋の様子が見えないようになっている。普段であれば、夜19時頃あたりにカーテンを閉めるルーティーンになっているのだが、この日はカーテンが閉まっていた。

 小学生の僕が家が見える距離まで来ると、玄関付近でタバコを吸っている高身長の男性がウロウロしていた。この時、分団下校と言う仕組みに感謝した記憶がある。友達数人も一緒に目撃しており、彼等も帰宅したのちに合流してくれた。

「おい、近藤。お前の家に誰かいるけど、なんか雰囲気やばくね? 髭ボーボーだし、髪ぼっさぼさだし」

「……母親のお兄さんだね」

 小声で友達と話をしていた時に、母親のお兄さんである智昭(ともあき)さんが僕に気づいた。智昭さんがいる時点で嫌な予感もしていた。彼は……暴力団関係者と関りがあったからだ。

 今までも幾度となく母親が智昭さんにお金を渡していた。お金がない時や、ご飯が食べれない時に現れる人……そんな印象しかなかった。僕に気づいた智昭さんが、地面に吸殻を落として踏みつける。

「おうっ。久しぶりだな在過。家に入れなくてよ、かーちゃんいないか?」

「わからないですけど。呼んでも出ないなら、いないんじゃないかと」

「あっそ。まぁいいや、家の鍵持ってんだろ? さすがに寒くてな、早く家に入らせてくれ」

「え? 僕も鍵持ってないですよ」

 その瞬間、鬼の形相で僕に迫ってくる。周りにいた友達も後退りするほど、大人の男性で高身長の智昭さんは恐ろしかった。

「嘘じゃねぇだろうなぁ? カバン見せて見ろ」

 ランドセルを奪われ、中身を地面に撒き散らして鍵を探す。膝をつき、息を荒げている智昭さんの姿は今まで以上に怖かった。また、こういった環境を知らない友人たちは恐怖で固まっている。彼等の表情に不安と恐怖が読み取れる。当時の僕は勇敢だったと思う。

「みんな家帰らなくていいの? 遅くなっちゃうよ」

 僕だって怖い。智昭さんは暴力関係者との関りがあり、そういった人達を何度も見ている。しかも、母親がお金を渡してくれる存在と言う事を知っているから、頻繁に家に来る。

 ――だから、こんな光景を友達に知られたくも、見せたくもなかった。

 お小遣いをもらって、学校帰りに友達と商店街へ行きお菓子を買う。その後は公園に向かって、お菓子を食べながら遊ぶ。たったそれだけで……よかった。

「なんかヤバそうだからな。危なそうだら、すぐに戻ってくるから待ってて。気をつけろよ」

「大丈夫だよ。気にしないで」

「……お前、足震えてんじゃん」

 何かを察したのかもしれない。こそっと僕に耳打ちをした友達は、脱兎のごとく帰っていく。来なくていい、きてほしくない。この状況と、この状況の裏にある背景を知られたくない。僕は、走り去っていく友達の揺れるランドセルを眺めて思った。

 僕達はまだ小学生なんだ、本来関わることがないこと。でも、僕は深く関わってしまっている。智昭さんがお金を借りに母親に会いに来て、母親が渡しているお金は……。

 僕が、1時間掛けて江南市までバスに乗って、母親の知り合いらしい男性に会って借りたお金なんだから。

 多い時には一週間に2回ほど。1回に受け取る金額は100万から300万。小学生の僕に金を借りてこいと頼む母親は、僕を道具と見ているのかもしれない。

 そんな日常は、僕にとって普通の日常で当たり前の出来事。

「散らかしてわるかったな。かーちゃん、いつ帰ってくるか知ってるか?」

「ん~買物なら、この道まっすぐ行けばスーパーがすぐあるから、いるかもしれない」

「行ってみるか……」

 指差した方向へ智昭さんが歩いていく。僕は、歩いていく智昭さんの後姿が、たった一度だけ寂しそうな感じがしていた。姿が見えなくなったと同時に緊張が解け、ふぅっと息を吐いた時だった。

 ドンドンっと叩く音が聞こえた場所に視線を向けると、少しだけ開かれたカーテンの隙間から母親が覗いていた。

「家にいるじゃん」

 なんで居留守をしていたのか分からなかったが、カーテンの隙間から手招きする母親。僕は側まで近づくと、カチャっと鍵の音が聞こえる。少しだけドアの隙間を開けて、母親が喋りかけてくる。

「帰った?」

「ううん。スーパーにいるかもしれないって伝えたら、探してくるって」

「あぁ~もう。そんなこと言ったら、また戻ってくるでしょ! はぁ……。とりあえず、あの人が帰るまで家に入らないで」

「え? なんで」

「当たり前でしょ! 家に入れたら、私がいるのバレちゃうじゃない」

「……」

「本当に帰ったのがわかったらチャイム押して」

「わかった」

 それだけを言い残して、母親は扉の鍵とカーテンを閉めた。大丈夫、これもいつものことだ。そう言い聞かせながら、玄関前に散らばっている教科書や筆箱を片付ける。
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