婚約破棄するはずが、極上CEOの赤ちゃんを身ごもりました
 ポケットに入っていたタオルハンカチで汗を拭き、再び歩き出した。

 家に着いたのは八時前で、玄関でスニーカーを脱いでいると母が顔をリビングから覗かせる。

「まだ寝ていると思ったわ。びっしょりじゃない」

「ランニングしてきたの。ほぼ歩いたんだけど」

「運動だなんて珍しいわね」

 母に冷やかされて、もっともらしい理由を考える。

「毎回、亜嵐さんにおいしいものをご馳走してもらうから、少し運動しなきゃって思って」

 実は半年後のスタイルを気にしてなんて言えない。

「シャワー浴びてくるね」

 一度、二階の部屋へ行き、着替えを持って浴室に入った。

 花音さんから電話をもらったのは火曜日の夜だった。

《一葉さん、先日は余計なことを頼んでごめんなさい。気持ちを亜嵐から聞いて、あんな話をしてしまい後悔したわ》

「私は花音さんに感謝しています。だから謝らないでください」

 花音さんのおかげで、亜嵐さんの気持ちを知られたのだ。そうでなければまだ悶々としていただろう。

《優しいのね。もっと一葉さんと会って出かけたかったけれど、明日パリへ戻るの》

「もう……」

 よく和歌子おばあ様が、花音さんと仲よくなってほしいと言っていたのを思い出す。

《一葉さん、パリへ遊びにきてね。たくさん案内するから》

「ありがとうございます」

《亜嵐から私のアドレスを教えてもらって。メッセージを送ってくれるとうれしいわ》

「はい。花音さんもまたこちらに来てくださいね。お母様にもよろしくお伝えください」

《ええ。伝えておくわね。じゃあ》

 通話が終了して、スマホを枕もとに置く。

 和歌子おばあ様、次回は花音さんと仲よくお出かけしますね。

 気持ちを確かめ合った日から、よりいっそう亜嵐さんを愛する気持ちが深まっていった。

 ふたりきりの際には軽く触れ合うようなキスをして、「このままじゃ、一葉の誕生日まで生殺しの気分だ」と言う。

 婚約しているのだからその先だってと思うけれど、亜嵐さんは守り通すつもりだ。

 幸せな日々を過ごし、冬が訪れ大晦日。家業のかき入れ時で、私と弟は八時から二十時まで少しの休憩だけで働きづめだった。

 亜嵐さんは私とクリスマスを過ごした後、イタリアへ出張している。帰国は一月十五日。半月以上も会えないのは寂しいけれど、ひとりで過ごすおじい様を気遣い家族が集まるので、仕事も兼ねて飛んだのだ。

 最近私はイタリア語の教室に通い始めた。和歌子おばあ様から挨拶や物の名前などを教わってはいたけれど、少しでも会話ができるようになって、もっと亜嵐さんや家族のみんなと仲よくなりたいと思っている。

 二月。大学が春休みに入り、亜嵐さんの休日にはレジデンスのキッチンで母に習った料理を作り、彼に食べてもらうようになっていた。

 亜嵐さんは作ったものはなんでもおいしいと言って食べてくれるが、好きなのは煮物と、育った環境や容姿から見て全然違うのが意外だった。

 好きと言われれば、いろいろな煮物を作ってあげたくなり、レジデンスで食事をするときはイタリアンのときも必ず煮物をテーブルに並べた。


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