月のひかり

 非常に不自然だとは思ったが、フォローの言葉も思いつかなかった。黙々と食べ続けていると、再び紗綾の方から控えめに尋ねてくる。
「こうちゃんて、彼女いるの?」
 一瞬、緊張した。だが努めてさりげなく答える。
「去年まではいたよ。でももう別れた」
 そうなんだ、と受ける紗綾の声は聞いた。しかし顔を上げないままでいたので、表情は見なかった。

 考えてみると、あのタイミングであんな質問というのも、自然な流れではなかった。もっともその時にそう思う余裕はなかったのだが……直前の発言をなかったことにしたい思いで、頭の大半が占められていたから。
 あの時の自分はちょっと変だった、と後になればなるほどに思う。どうして、あんな言い方をしてしまったのか。
 ひとつ目の質問の時、予想したのは、誰か気になる相手がいるのか、逆に誰かに告白めいたことでも言われたのか、どちらかだとまず思った。紗綾の様子から、前者かなと推測して──ほんの短い間、もしかしたらそれは自分なんじゃないかとまで考えた。さすがに自惚れが過ぎたと、直後に反省したが。
 紗綾が、自分を慕ってくれているのは確かだろうが、それはあくまで幼なじみ、兄弟に対するような気持ちに違いない。そもそも孝自身、そういうふうに思ってきたではないか。
 彼女が他の男にアプローチされたからといって、苛立つ理由がどこにある?
 ……本当に妹がいても、こういう気分になるものだろうか。そう考えると、なんだか、自分がひどく過保護な「兄」であるような気になってくる。それは一番うっとうしがられるパターンだと、前に友達が言っていたのを思い出す。そいつにもやや年の離れた妹がいたはずだ。
 心配にはなるけど過保護はよくない。第一、実の兄妹でもない自分が立ち入れる権利など、ごくわずかに過ぎないのだから。

 六月に入ってようやく、受発注が一段落して仕事が落ち着いてきた。新入社員の配属が正式に決まったので、彼らの面倒を見る必要もなくなった。
 一ヶ月もしないうちに、夏休みの課題や講習向けのテキスト類の出荷が始まりはするが、それまでは受発注関係は少し楽になる。
 反面、こういう合間に増えてくるのが各種会議である。今日も昼一で営業全体での会議があり、全員が集まれる機会がなかなか取れないとあって内容がかなり追加されたため、終了予定も大幅に延びた。部署の自分の席に戻ってこられたのは夜八時近くである。
 やれやれ、と思いながら孝は帰り支度をする。日頃の残業続きが功を奏していたというべきか、今日はめずらしく、残務処理をする同僚よりも先に帰れる状態だった。
 彼らに声をかけて部署の部屋を出て、フロア中央にあるエレベーターホールへ向かう。他のフロアはすでに人がいないようで、この階でも、電気が点いているのは営業部だけらしい。営業部を離れるごとに、静けさが強く感じられた。
 今日は木曜で、明日が終われば週末になる。よほどの緊急事態が起こらない限り、今週は休日出勤せずに済みそうだった。土曜日もおそらく朝から家にいられる。これまで通り昼頃に来るであろう紗綾を迎えるのに、問題はないだろう。
 あれこれ考えながらビルの裏口から外へ出て、しばらく行きかけたところで、後ろから呼び止められた。その声に、信じられない思いで振り返る。
「──玲子、なんでここに」
 呆然とした呟きに返されたのは、彼女──いや、元彼女である真島玲子の、半年ぶりの微笑みだった。
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