月のひかり

 ……もしかしたらうまくいくかも、という予感がし始めていたことが、ショックに輪をかけているのかも知れないと思う。
 実際、いい方向にいっているように思えたのだ。少なくとも、紗綾がこの家に来ることを嫌がってはいないようで、いつも歓迎してくれている。ここに通い始めてまだ二ヶ月足らずなのだから、十年以上の幼なじみ認識を、そんな短期間で変えてもらえるとは思っていない。
 ──けれどもしかしたら、いつかは一人の女の子として意識してもらえるかも知れない。そんなふうに思うのは、久御坂氏の件を話した時に言われた言葉が、今もはっきりと耳に残っているからだ。あの時はどちらかといえば、話したら孝がどんな反応をするのか、知りたい気持ちの方が強かった。いっとき彼が妙に不機嫌になった時には戸惑ったものの、不用心だったという意見はうなずけるものだったから、それの延長なのかと考えて納得していた。
 そしてその後──さーやは可愛いんだから気をつけろと言われた瞬間は、思い返すと今でもドキドキする。子供の頃にも同じような台詞は何度も言われたが、ただの注意としか聞こえなかったあの頃と、この年になってから聞くのとでは全然違う。孝がその時、彼自身でも思いがけないことを言ったという表情をしていたのも、単なる注意におさまらない何かがあったのかもと紗綾に思わせた。
 ……しかし、それはただの自惚れなのだろうか。孝が、いつも笑ってくれているから──あるいは、その態度にも、何割かは我慢や遠慮が含まれていたのかも知れない。
 後ろ向きな想像は、いったん始めると止まらなくなる。考えることに集中しすぎて、手がきちんと皿をつかんでいないことに気づかなかった。
 あっと思った時にはもう、皿はシンクの台から床に落ち、派手な音を立てて割れていた。紗綾は慌ててしゃがみこみ、破片を拾い始める。
 飛び散り方も音に劣らず派手で、思いがけない所まで飛んでいるのが見えた。青くなりながらもともかく手の届く範囲からかき集めていると、目線の先に大きな手が現れた。
「こうちゃん! わたし一人でやるから」
「いいって、一緒に片付けた方が早いだろ」
「でも割ったのわたしなんだから、ねえ、いいんだってば」
 百パーセント自分の不注意で起こったことだし、よりによって孝に手伝ってもらうのはいろんな意味で申し訳ない。
 だから、断りながら思わず彼の手を押さえたら、その拍子に破片を握らせる形になってしまったらしい。短く呻く声とともに手が引っ込められる。
 右手の、人差し指の関節あたりからにじみ出る血に、紗綾は悲鳴を上げた。見た瞬間にパニック状態に陥ってしまい、たいしたことないからと孝が言っているのもまるで耳に入らなかった。ひたすら後悔と罪悪感で頭が一杯で、ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返す。
< 28 / 70 >

この作品をシェア

pagetop