月のひかり
「遅いわねえ、何してるのかしら」
玄関先で待つ孝に付き合い、いろいろ近況を尋ねてきていた紗綾の母親が、話の区切りがついたところで奥を振り返り、訝るように呟く。気づくと二十分近くが過ぎていたから、確かに遅い。
「ごめんなさいね、ちょっと見てくるから」
と、奥へ行った彼女が階段を上る足音が数段分。次いでぼそぼそとした話し声が続き、ほどなく、母親に急かされるようにして、紗綾が姿を見せた。
先ほど、二階へ上がる際に見かけた紗綾は、直前まで庭の草取りをしていたとのことで、離れていても頬がだいぶ赤くなっているのがわかった。今は逆に、かすかに青ざめて、孝を見るのが辛そうな硬い表情をしている。ちらりとこちらに向けた目は、今すぐ逃げ出したいと言っているかのようだった。
その心境も、母親の前だからそれを悟られないように必死に抑えているのも、似たような気持ちでいる孝にはよくわかる。だが少なくとも、自分は逃げるわけにいかない。
「あのな、うちに来た時に、ハンカチなくしたかも知れないって言ってたろ。こないだ見つかったんだけど、なんでか破れちゃってたからさ、新しいの返そうと思って。けど好みが違うかも知れないから、一緒に見に行かないか」
用意してきた理由に、最初は訳がわからず戸惑った様子の紗綾だったが、聞いているうちに外へ連れ出す口実と飲み込めたらしい。硬い表情のままうなずいた。彼女の母親が疑う様子は全くなかった。
池澤家を出た後、しばらくは駅の方角へ歩く。商店街やスーパーのある方へある程度は行かないとと思いつつ、実際にはどうしようかと悩んでもいた。言うまでもなくこのあたりは地元だから、人が多い場所へはできれば行きたくない気もする。もし知り合いに会ってしまうと厄介だ。紗綾もあまり長々とこちらに付き合いたくはないだろうし、なるべく短時間で用件を済ませたかった。
その紗綾は、三週間前の朝よりもさらに距離を取り、孝の足元だけを見てついて来ている。こちらが足を止めれば同じように立ち止まる、といったふうに、間隔を縮めようとはしない。
その距離感がふいに息苦しくなって、思わず一歩近づき、手を取った。その瞬間、紗綾はあからさまに硬直したが振り払いはしなかった。だから、孝はそのまま彼女の手を引き、再び歩き始める。
幸いに誰とも行き会わないまま数分歩くと、道の開けた先に公園が見えてきた。存在自体忘れていたが、そういえば子供の頃はよく、ここに遊びに来ていた。紗綾が確か幼稚園ぐらいの時、連れていってあげてと言われて一緒に来たこともある。
そんなことを思い出しながら、そちらへと足を進める。誰もいないのは食事時だからだろうか。
公園の中ほどにあるベンチの前まで来てから振り返ると、紗綾はまだうつむいている。緊張が解けずにいる手を引き、努めて普通の調子で「座ろうか」と促すと、数秒ためらうような間を置きはしたものの、素直に腰を下ろした。