はるか【完】
同昔


その学ランの匂いは、柔らかかった。


匂いに柔らかいという表現はおかしいのかもしれない。
でもそれぐらいに安心する…匂いで。
そのせいか少しさっきよりも心は落ち着いていた。まだ震えは止まらないけど、涙は出てなかった。





その場所につき、部屋の映像が写されているパネルの前に立つ私は、まだ頭から学ランを被ったまま。

だから良くんがどのボタンを押したのかも分からない。

良くんは何も喋らない。

ボタンを押してから、エレベーターの方に向かう。

その背中を追いかけるようにエレベーターにのり、おりて、目的の場所にたどり着いた良くんは扉を開けた。



そして良くんが振り向く気配がしたから、歩く足を止めれば「どうする?」と、低い声が廊下に響いた。



どうする…なにが、

分からない。

頭が上手く働いてない…。



落ち着いたものの、未だに頭の中はパニックで…。



「一緒にいるか? お前ん家見張ればいいか?」



一緒にいたほうがいいのか。
私の家を見張った方がいいのか。



え?


かぶっているそこから、顔をあげれば、鋭く目つきの悪い彼と目が合い。
泣いてないものの、まだ目が赤いであろう私と目が合うと、す、と良くんは視線を逸らし、玄関の中に入って靴を脱いだ。



「…いや、何でもねぇ、…一緒にいるわ」


一緒に、いる?

私と一緒にいてくれるの?



中に入っていく良くんを追いかけ、〝ここ〟がどこだか分かっているけど、〝良くんはそういう事をしない〟と無意識に思ってた。


もう、顔を隠さなくていい…。
だからこの学ランを返すべきなのに…。「返せ」と言ってこないのをいい事に、顔から下ろし、肩にかぶせた。そしてその学ランを、肩から落ちないように掴む。



部屋の暖房をつけた良くんは、黙ったまま。
そんな良くんは、カッターシャツと黒色のカーディガンを着ていた。寒いから、返すべきなのに…。


1人がけのソファが2つあり、そこに座った良くんは、ズボンのポケットからスマホを取りだし、画面をちらりと見たあと、またポケットの中に戻した。

多分、時間か、誰かから連絡が入ってないか見たらしい…。

心が、やっと、落ちついた私は、…パニック状態から意識を取り戻し。この状況に少し戸惑った。

どうして私は、良くんに頼ってしまったんだろう。

普通なら、警察に言えばいいのに。

虐待で刑務所に入った父親…。

接近禁止命令が、出ているはずだから。

警察に行けば済む話だと言うのに。



「あ、の、…ごめんなさい…」


突っ立ったままの私があやまれば、「何が」
と低く私の顔を見ず呟く良くん…。


何が?
そんなの、

何がって……。



「電話して…」

「電話してこいって言ったの俺だろ」

「……する、つもりは、…」



無かった…。

もうあれで、本当に最後だと思って……。咄嗟に掛けてしまった、良くんの番号…。

110でもなく…。


もう一度「…ごめんなさい」と謝った私に、良君は返事をしなく無視していた。目つきの悪い男は「座れば」と言っただけ。

座る…。


「ごめんなさい…」

「うぜぇ」

「ごめんね…、やっぱり…警察に、行くから」

「その足でいけんのかよ」


その足?
なんの足?
私の足?
そう思って足元を見れば、何故か足が小刻みに震えていた。歩きたくない、ここから出たくない、ずっとずっとここにいて、って、足が叫んでいるような震え方に、私はぎゅっと学ランを握った。



怖い、

外に出ることが。


いるかもしれない──…


私を殺そうとした男が。



「…一緒に…いてくれるの…?」


泣きそうになりながらそう言えば良くんは言う。


「金、1泊分しか持ってねぇから朝には出るぞ」と。



お金なんて…もちろん私が、払うし。
良くんに出させるけにはいかないのに。


まるで〝朝まで一緒にいてやる〟という、その言い方に、胸の中が、凄く熱くなった。

お互いが、1人がけのソファに座る。
向かい合う形になっているけど、良くんは頬杖をつき、少し目を細めて左斜め下を見ていた。


そんな私はまだ良くんの学ランを肩にかけたまま、自分の膝元を見ているから、視線はまじ合わなく。


部屋は全ての明かりがついている。
もちろんベットのシワひとつ変わっていないし、テレビのリモコンの位置も変わってない。


今何時かも分からない。この部屋に時計がどこに置いているのかも分からないし、探す気にもなれないし。
スマホを見れば分かるけど、スマホを見るのもイヤで…。



「むかし、…」と、喋りだしたのはたぶん、もう夕日が沈み空が暗くなった頃だったと思う。



「父親が、母親に凄く暴力してたの…。殴る蹴るは当たり前で…言葉の暴力とかも。私はそれをクローゼットとか…隠れて見てた…」


良くんに、過去を話し出したのは。


「ある日ね、ある日から…母親がいなくなって…。私を置いて逃げたの。 その日から…父親の暴力は私に向いて…。ご飯とかも食べれなくて…逃げたいのに玄関の鍵が届かなくて…。夏で…熱中症と脱水とか…栄養不足で倒れて…気がつけば病院にいたの…」


ぐちゃぐちゃで、ちゃんと伝えられているか分からない。


「目が覚めたら母親がいた…。母親はずっと謝ってた…。でも母親は私を捨てたって思えば、許せなかった。だから今でも母親が嫌いなの。1週間ぐらい…私を捨てた母親が…1人で逃げた…あいつが…」


良くんはどう思ってるんだろう。
いきなり「たすけて」って呼び出されて。
いきなりこんな、知りたくもない私の昔話をされて。


「父親は捕まった、虐待の罪。 離婚して…その父親には逮捕後、接近禁止命令が出た…」


私のくだらない話…。
良くんは本当に、聞いていないかのように、何も喋らない。

「今でも夏が来れば思い出す…あの暑い1週間の事を。…──あの男を。だから、 」



だから、



「結婚する人は、優しいひとがいいって思った…。付き合う人も、ちゃんと選ぼうと思ったの…。選んで…私は合コンで知り合った裕太と付き合った…。裕太が優しかったから。父親とは真逆のタイプだったから」


でも、



「初めは…お互い好きじゃなかった、けど。裕太が本気で私を好きになってくれて…。…でも、私は好きに、なれなかった…。本当に、裕太には、…ごめんって…思ってる…、…っ…」


「好きにならない理由は、…私…、1年の、時から、好きな人がいたから。けど必死にその気持ちに蓋した、…その人が父親と似てたから…ずっと暴力するひとだったから…って。それなのに、私の頭から離れなくて…」


「良くんが、ずっとずっと──…好きだった」


「本当は、良くんが優しい人って、知ってるの…」


「電車で、良くんを見かけた時から…」


「すき、で…一目惚れだったんだ思う…」


「良くんが、頭から離れなくて…」


「裕太と付き合ってる時も…。」


「裕太を怒らせた…。良くんはやめろって…言われ……言われて、…むりやり、…」



上手く話せない。
気持ちが、、伝わってるのか分からない。



「良くん、…裕太はほんとうに、悪くないの…」


「だから、お願い…、裕太は……」


「裕太のこと、…嫌いにならないで」



父親の虐待の話から、どうして裕太の話になったのか。



「──…チームの人間を嫌いとか思った事ねぇよ」



思ったことがない…つまり、それは──…




「好き、」

「遥」

「好きなの…」

「…」

「何回も言ってごめんね…」

「…」



その日の朝まで、ずっと良くんはそばにいてくれた。










「好きなやつがいるんだ」


良くんがそう言ったのは、いつだったか。その言葉に「まきちゃん…?」と聞いたのは、良くんと仲良い子が真希ちゃんぐらいだったから。


「いや、」


首を振ることもせず、否定した良くんは、「違う…。 …別のやつ。…正直、お前のことは裕太の女だったってことしか認識してないし、そういう目では見れない」と、ソファからゆっくりと立ち上がった。


メンバーの、元女…


「悪いな」


なにが悪いのか分からない。良くんは何も悪くない。
良くんに好きな人がいる…。その事実が、心臓をえぐる。



「…その子と、は、どうなの…」

「そいつは元メンバーの女。…どうなる訳でもない」


元メンバー? 女?
元? つまりは、引退…


最近引退したと言えば、総長たち…。


「そ、う…」


報われない恋をしているらしい良くんは、そのまま歩き出すと、精算機がある方へと向かっていく。


「その人が別れても、良くんは付き合わないの…」

「ねぇよ、俺は誰とも付き合わない」

「良くんを恨んでる人、いるから?」

「お前の父親からは、助けてやる」

「良くん…」

「もうお前、俺に関わんな。俺はお前が言うほど〝優しい男〟じゃない」

「お金払う…」

「いい、連れ込んだの俺だしな」

「……払うからっ」



急いで立ち上がって、良くんの元へ行くけど「──…近寄るな」と声を低くして言われ、私は良くんに近づくことが出来なかった。


私を、完璧に拒絶した良くんは、「これが終われば二度と電話してくるな」と。



玄関にある靴をはいたのだった。



その拒絶は、やはり良くんの〝優しさ〟だと、思わずにはいられず。


「学ラン…」

「かぶれ」

「クリーニングして、返す…」

「もういい捨てて」

「良くん…」

「お前はねぇよ、俺の中では」



ない。
良くんの中では。
私は無い。



「裕太と一緒だ」

「え?」

「裕太のこと、好きになれなかったんだろ」

「……」

「俺だってお前の事、好きにはなれない」

「裕太と私と。私と良くんは…違うよ」

「ねぇよ」

「…」

「無理」

「…好きな人がいるから? 敵が多いから?」

「…」

「私が裕太の元カノだから?」

「…」

「良くん」

「…」

「好きなの」

「…やめろ」

「やめられない…、」

「やめてくれ」

「りょう…」

「慣れてねぇんだよ、…そういうの」



そういうの?

なにが?


「……、好きになれない、お前が1番分かるだろ」


裕太の事があったから。
私は裕太を好きになれなかった。


「なにが慣れてないの?」

「うぜぇ…」

「慣れてないって何?」

「黙れ」

「好き…」

「やめろよっ!」



怒鳴る良は、私の方に振り向く。


「ねぇもんはねぇ。それ以上言うと殴るからな」


殴らないくせに。殴れないくせに…。
そう言った良くんは扉を開けた。

先を歩くことはせず私を待ってくれる良くん…。




そんな良くんは乱暴にまた私の頭に学ランを被せたあと、無言のまま何も喋らず私の家の方へと歩き出す。

私が「良くん」と呼んでも無視する良くんは、ただ私の歩幅を合わせるだけ…。


ただ一言。


「1晩、穂高んとこがお前ん家見張ってたけど誰も来なかった」と。



穂高がなぜ良くんの口から出たのか全く分からず。それを聞いても良くんは何も言わなかった。


「父親…、どうやって…どうにかするの…」と聞いても、良くんは教えてくれず…と言うより、返事が帰ってこず。


「しばらく家でるな」と言った良くんは、私を家まで送ると直ぐに背中を向けて歩き出した…。



私の頭に、学ランだけを残して。






──春休みに入った。


莉子から『大丈夫?』ときて、『大丈夫』とだけ返しておいた。


良くんに言われたとおり、私は家から出なかった。


ある日、良くんから連絡が来た。『父親って、鼻の横、ホクロある?』って。言ったこともないのにそれを知っている良くんに「…左腕…ううん、左の小指が無かったら父親だと思う…」と言えば『分かった』といい。



その二時間後、『明日から家出ていい』という連絡が来た。



何かの〝問題〟を起こしたらしい良くんに、私は泣きそうになり。


「何したの…?」

『お前が気にすることじゃねぇ』

「教えて…」

『しつけぇ』

「会いたい…」

『…切るぞ』

「最後だから…」

『…』

「お願い…良くん」

『……20時頃、電話する』

「…会えるの?…」

『分かってねぇから殴りに行くだけだ、勘違いすんな』





良くんは制服姿じゃなかった。デニムに、黒のパーカーとやけにラフな格好をしていて。



「5分だけだからな」



私を殴りに来たらしい良くんは、私に5分という時間をくれ。


何度も「…ありがとう…」という私に、良くんはやっぱり何も言わない。

何も喋らない。

ただ目つきの悪い目を向けるだけ。



自分の家の前で、良くんに会えた喜びを噛み締める私は、裕太のことを思い出した。

裕太も、私と会えただけで…、こんなにも嬉しいものだったのかと。



「どうして、私を助けてくれたの…?」

残り1分、それを口にした私に、良くんはやっと口を開いてくれた。

「分かるから、お前の気持ち」と。



私の気持ち?


「俺も身内に、殺されそうになったことがある」


残り55秒…


「俺も…たまに…〝あの時〟のお前みたいになることがある」


あの時。
パニックを起こし、気が動転し。


「辛さは分かるからな…」


私と同じらしい〝過去〟を持つ良くんは、それがあって、自分を重ねたから私を助けてくれたらしい。

身内に、殺されそうに…。


どんな事が?って、聞けなかった。だって口にするのも辛いはずだから。


私の辛さを分かってくれる良くんに「…好き」と言えば、無視される。


「すき、」

「…」

「ありがとう…」

「…」

「良くん…」

「…もういい…」

「好き」

「分かったからもう言うな」

「すき…」

「しつこい」

「私…良くんのこと…忘れられない…」

「……」

「巻き込んで…ごめんね」

「……」

「ごめんね」

「遥」

「ごめん…」





「…さっき言ったろ、殴るために来たんだよ」

「っ、ごめ、」

「泣かせるために来たわけじゃない」



ぎこちない良の手が、頭にふれる。
殴るために来たくせに、頭を撫でる良くんは結局5分たっても帰らず。

ずっと泣く私を見下ろす男…。


「…すき…」

「やめろ」

「どうして…」


良くんを見上げれば、涙で緩んだ視界の中に、眉を寄せ鋭い目付きをした良くんが私を見下ろしていた。



「好きって言われんの慣れてねぇんだよ…」


慣れてない。
好きという言葉を。
一匹狼の、暴君…。


「あたしが、何回もいう…」

「遥」

「慣れるまで言うから」

「…お前はねぇって言っただろ」

「優しい良くんが、だいすきだよ…」



あんなにも言えなかった〝好き〟という言葉。
裕太にどれだけ痛みつけられても、言わなかった言葉。


それがこうも、簡単に出てくる。


もう一度「だいすき…」と言えば、顔をゆがめ、私の頭から手を離した良くんが苦しそうな顔をした。


「やめてくれ」と。



何度も何度も「好き」という私に、良くんが私を殴ることは無かった。



春というのは、1週間あるだけで気温がぐっと違ってくる。ついこないだまでは「寒い寒い」って言ってたのに。

ポタポカとする気温は、ブレザーが必要ないぐらいだった。それでも今日は始業式。
ブレザーを着て登校しなくちゃいけない。

そんな私の部屋には、良くんの学ランが置いたままだった。

クリーニングした学ラン。

「返せ」と言ってこないのをいい事に、良くんが困ることを分かってるのに、私はそれを返せなかった。

心のどこかで、良くんに会いたい時に、「学ランを返したいの」っていう連絡ができると思っているからかもしれない。



その電話は、3年になった初めの始業式が終わったホームルームの後だった。

「遥!」と、違うクラスになった莉子が、新しくなった私のクラスに慌てたようにやってきた!



「遥!やばいよっ、いま潤から連絡来たんだけど…!!」

と、スマホを片手にそれを告げた莉子に、私は目を見開いた。




「高島! 裕太くんのこと始業式で殴ったんだって!それで高島が1週間の停学っぽい!裕太くん2日間停学って!」


良くん?
始業式で裕太を殴った?
良くんが1週間の停学?
裕太は2日間の停学?



少し、理解するのに遅れた。
なんだって?

良くんが、裕太を殴った?
なんで、どうして?
どうして良くんが、殴るの?


慌てて椅子から立ち上がり、教室から廊下にでた。



「なんで?!」


意味が分からない…。
だって裕太と私はもう…会ってもない。
良くんが殴る…なんて。
だって良くんは、…〝そういう人〟しか殴らないのに。

裕太…、何か、悪いことしたの?

で、でも、だったら良くんが1週間停学なのはどうして?

裕太は2日でしょ?


「さあ、私も、よく…」

「け、喧嘩したの…?!」

「だよね? 殴ったってそうだよね? なんで?遥の事があったから?ちょっと待って、もっかい潤に電話する!トイレ行こ!」



そう言った莉子に、戸惑いながらもついていく。
トイレの個室に入り、スピーカーにした莉子は、潤くんに電話して──…



『なに?』



と、繋がった潤くんに、莉子が「もしもし?」とスマホに話しかける。


「さっきの話だけど!なんで高島が殴ったの?理由は?」

『理由…、あー…、あれは裕太が悪い』



裕太が悪い?
裕太が、悪いことをしたの?


「裕太くん、何したの?」

『何したってなぁ、言ったっていうか…』

「言った?」

『莉子、そばに遥ちゃんいねぇ? 絶対遥ちゃんに言うなよ?』



スピーカーにして、会話をきいている私はピク、と動いてしまったけど。

私が聞いてはいけない会話らしく、思わず口を閉ざす私に、莉子は私に目線を向けると「いないよ、教えて、何言ったの?」と、彼氏である潤くんに嘘をついた莉子…。


『いや…裕太がさ?始業式ん時…良くんのところに行って…』

「行って?」

『アホなこと言ったんだよ…』

「だから何」

『まあ、遥ちゃんのこと』

「それで?」

『絶対言うなよ?遥ちゃんに』

「言わないよ」

『裕太が言ったんだよ。やったのか?って』

「何を?」

『遥ちゃんすぐ痛がるし気持ちよくねぇだろって』

「────…は?」

『それで、良くんが裕太の胸ぐら掴んでボコボコ』

「え、いやいや、なにそれ? 」

『あれは裕太が悪い、遥ちゃんのこと無理矢理抱いといて…、気持ちよくねぇって…。痛がるって、お前が痛がることしてたんだろって俺も後から怒ったけどさあ…』

「それを始業式ん時に言ったの? みんないるのに?」

『ちっせぇ声だったからなあ…』

「いやいや、ありえない…」

『言うなよ?遥ちゃんに』

「なんで高島が1週間? どう考えても悪いのな裕太くんでしょ?!」

『学校側は先に手を出した良くんの方が悪いっていう判断。つか、あの人、学校に目ェ付けられてたからなぁ…』

「裕太くんどこにいるの?!ボコボコにする!」

『まあ、俺も怒っといたから…』

「いやいや、おかしいでしょっ!」




〝気持ちよくねぇだろ〟
〝痛がるから〟


なんで、そんなこと…。



『つーか、久しぶりに…あんなにキレてる良くん、見たかも…』



私のために裕太を殴ってくれた男…。


『やっぱり良くんって…遥ちゃんと何かあんの?莉子聞いてねぇ?どうなのその辺』

「知らないわよっ!」



ぶち、と、通話を切った莉子は、最低…と呟きながらスマホをブレザーの中に戻した。

苛立ちの顔から、戸惑った顔つきに変わった莉子は、視線を下に向けている私を見つめ──…。



「…別れて正解だよ」



低くそれを呟いた。













『──…ツレが、見たんだ…。良くんと遥がホテルから出てくるとこ』

裕太と電話をしたのは、始業式から1日たった夕方だった。裕太から電話がかかってきて、『ごめん…』と、私が知っている事を前提に謝ってきた裕太は、泣きそうだった。

莉子が潤に言ったんだろうと思った。



「なんで、そんなことを言ったの?」と言った質問に、帰ってきたのが〝私と良くんがホテルから出てきたのを目撃した〟という事だった。



『顔…、遥の顔は隠れてたみたいだけど…。制服と、…遥細し……。溜まり場でも…遥と喋って遥のこと知ってたから……遥じゃねぇかって、俺に言ってきて…』

「…そう、」

『ごめん…、もう、俺…。遥とは関係ないし、抑えてたんだけど…。学校であいつを見たら止まんなくて…』

「…うん…」

『ごめん…』

「……」

『ごめん…』

「……うん…」

『ごめん…』

「……」

『……遥…、マジで良くんとホテル行った?』

「…行ったよ…」

『そっか……』

「……うん」

『……そっか、…』


ここで、良くんとは何もしてないよって裕太に言い訳するのもおかしい気がしたけど。

裕太の中では、良くんが私に手を出したってことになっているから。



──…また、良くんが、悪者になっていく…。

私のせい、私が良くんに助けを求めてしまったから。



「父親が、私に会いに来たの…」


正直に、それを言う。


『…え?』

「怖くて…どうすればいいか分からなくて、父親から逃げて…良くんに電話したの…」


知ってるでしょ?裕太。
私が父親にされたことを。


「良くんが…今日は家に帰らない方がいいって…ホテルに連れて行ってくれた…」

『……』

「私を助けてくれただけだよ…」

『……はるか』

「良くんは何もしてない」

『……』

「……助けてくれたの…父親から」

『……』

「助けてくれたんだよ…」



こう言っても、裕太は疑う?
暴君で、乱暴な男はそんなことしないって思う?
また美化されてるって言うの?


そう言おうと思った、けど、裕太は『そっか…』って言うだけで。


何も言ってこない。
良くんに対して…嫌なことを。



『わかった』

「…裕太」

『…良くんに、謝るわ』


あやまる…。


『吹っ切る、もう、遥のことは…』


吹っ切る…。



『頑張れよ、応援するから』



裕太は、どんな気持ちで言ってるんだろう。
好きな人に、好きな人がいて。
その人の恋を応援するのは…。



『……大好きだった…』

「ゆう…」

『良くんと付き合っても、溜まり場来いよ、俺の事気にしなくていいから』

「……」

『…じゃあ、切るな』




「裕太?」


電話を切ろうとした、裕太を引き止めた。


『ん?』

「楽しかったよ、裕太と付き合ってる時…。ほんとうに…」


全部が全部、嫌な思い出じゃないから。
毎日、連絡をしてくれていた…〝おやすみ〟の連絡を毎日してくれていた男。


『うん』

「ありがとう」

『俺こそ……』


遥のおかげで、人を好きになる事を知れたから…。そう言った裕太は、少し、息を吐いた。


『…あのさ? 俺…思ったことがあるんだけどさ』

「え?」

『──…遥はさ、優しい男が好きなんじゃなくて守ってくれる男がいいんじゃないの?』


優しい男ではなく?
守ってくれる男?


え?と、頭の中が戸惑う私に、裕太は続ける。



『遥が頼る時、絶対…良くんだろ?それ守ってくれるって思ってるからじゃない?』


頼る時…。
裕太の元カノの時も。
父親の時も。

守ってくれると思ってるから…──。



『だから遥は、俺の事好きになれなかったんじゃないかな』


好きになれなかった…。


『あと、もうひとつ、遥…ずっと痛がってただろ?』


痛がってた…、行為を。
何がいいか、分からない行為。
ただ、体を上下する運動…。


最後の方は、裕太とするのが嫌で…怖かった。凄く痛かった。



『あれ多分、過去のこと、関わってんじゃないかな』

「…過去?」

『いや。なんつーか、遥…、親のそういう行為、無かった?』


親のそういう行為?



『暴力も、隠れて見てたんなら、セックスも見てたんじゃないかって』

「……」

『その光景見て、セックスが痛いものだと、脳が勝手に思ってるとか…』


脳が勝手に思ってる?


『本当に好きなやつなら、痛くないのかもな』









──その後、良くんに電話をかけた。
ずっとコール音がするだけで、二度と電話するなと言った良くんが電話に出ることは無かった。






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