ふたりは謎ときめいて始まりました。


 ミミと離れた後、ロクはスマホを取り出し電話を掛けた。それはすぐに繋がった。

「もしもし、笹田さんですか? 逸見です。そちら変わりありませんか?」

 ――はい、今、瀬戸とその子供が家に入って行ったところです。それ以外は何も変わりありません。

「瀬戸さんが何か気づいた様子はどうでしょう?」

 ――見る限りは何も変化ない感じですね。

「でも、息子の祥司君が何か感づいている様子です。今日、学校でかなり元気がなく、あきらかに母親を心配していました。以前も母親の海外出張が決まった時も落ち込んだそうです」

 ロクはあのメモの事を思い出していた。あれは継父と思っていたときの瀬戸の事で抱いた気持ちではなかった。あの時はそのメモを書いた動機は瀬戸に対する嫌がらせと、本人に追及することなくその場にいたものがそう思いこんでしまった。

『全てが意地悪じゃない。メモを書いたときも本当に助けてって気分だったんだ』

 あの後瀬戸が本当の父親と説明したことで、この件はうやむやになってしまったが、あの時助けてと思った気持ちは母親に関することに違いない。

 母親は出張から帰ってきてずっと疲れた様子でいたこと。参観日に父親と一緒に来てと昨晩、いや、今朝まで母親に言い続けてねばっていたに違いない。

 だが、母親は仕事が忙しいといってこなかった。参観日に父親と一緒に来られないのはがっかりするかもしれないが、ロクもミミもお願いされて行ったのにあそこまで落ち込むのはおかしい。ロクは違和感を抱いていた。

 もしかしたら、祥司は何か知っているのではないだろうか。

「笹田さん、俺、今から瀬戸さんのところに行って祥司君と会ってきます」

 ――しかし、瀬戸に知られたら事態はかなりややこしくなります。

「事態はすでにややこしくなってます。白石さんもこの件に巻き込まれてしまったんです。白石さんだって、今危ない状態じゃないんですか?」

 ――それは大丈夫です。他の刑事が警護に当たってます。それに今日は夜勤でずっと病院にいます。

「とにかく、瀬戸さんの目を盗んで祥司君とだけ話せるようにもっていきます。俺もそっちにいきますので」

 ――わかりました。今は逸見さんの協力なしではありえません。私がへまをしたばかりに、逸見さんにも迷惑を掛けてしまいました。すみません。

「いえ、俺も探偵の端くれ、警察の力になれるのなら本望です」

 ――逸見さんを見ていると、うちの署の伝説の話を思い出します。

「伝説?」

 ――昔、事件の解決に大いに貢献した探偵がいたらしいんです。確か名前は斉須ヒフミだったかな。

「セイスヒフミ?」

 聞いた事があるような気がすると、ロクは繰り返した。

 ――その探偵が関わると、事件が次々に解決したそうです。

「今は、その探偵はどこにいるんですか?」

 ――私もそこまでは詳しくないんですけど、すでにお年で引退されてるそうです。

「そんなすごい人なら俺も是非会ってみたいな……あっ、そろそろ、そちらに着きます」

 ――こちらも窓から見えました。それでは何かありましたらすぐご連絡下さい。ここから見張っております。

「了解」

 ロクは通話を切り、アパートの二階の窓を見つめた。その下の階は中井戸の部屋だ。電気がついていないところを見ると留守らしい。

 ロクはぐっと気持ちを引き締める。

 今を思えば、織香が持ってきたあの手紙から全てが始まっている。笹田は刑事だ。あの家に入り込んだのは捜査の一環だった。

 捜査令状を持っていたが、織香にも危険があり、それを本人に知らせればもっと危険に晒されるために、ああするしかなかったと、ロクが笹田を捕まえた時に言っていた。

 ミミが久太郎を家に帰そうと外に出た間に、笹田はロクにその目的を説明した。

 笹田聖と名乗っているがそれはあの家の持ち主の息子のふりをしているからだ。本当は山下努という。白石に本当の事を話せないためにそのまま齟齬のないようにロクは笹田と呼んでいる。

 当の本人の笹田聖はすでに捕まって今は警察で拘留中だ。

 笹田夫妻は海外に住んで薬物や違法なものを日本に輸出する役目を担っている。それを息子の笹田聖が経営する会社名義で偽装して受け取り、その道のものたちにさばいていた。

 織香はこの件については全く無関係でただ家を貸りている存在に過ぎないが、もし笹田が組織を裏切り不利益な事をしたときは危害を加えて笹田に擦り付けると脅していた。そのため織香にも警察の警護が入っていた。

 山下が家に入り込んだのは本人の笹田が実家にも不法なものが置いてあると供述し、それを押収することだった。

 最初はこっそりと忍び込み、押入れに身を潜め、織香が家を出たとき探りをいれた。だがすぐには見つからず、暫く潜伏することにした。押入れから天井裏に続く入り口を見つけ、そこが隠れるのに適していた。

 長居をするつもりはなかったそうだが、捜査に手惑いどうしようかと油断をしているときに、ロクが入り込んだというわけだった。

 ロクは全てを知った上で、山下に協力することにした。織香に危険があるのなら身近にいた方がいいということで笹田夫妻の息子のふりをして一緒に暮らす方向へ持っていった。

 そうすれば堂々と家にいられ、織香のいない時に捜査ができるということだった。

 唯一事情を知るロクは山下にとって心強い味方だった。探偵ということもあり、頼りにもなった。 時々ロクはミミの知らないところで山下の力になっていた。

 ロクは今、瀬戸の家の前にいる。笹田夫妻の仕事が滞ったことで、組織は次のターゲットに瀬戸の内縁の妻である比井あかりに目をつけた。その情報が山下に入り、そこで中井戸が住んでいるアパートの二階を借りて、確かな証拠をつかもうと様子を探っている最中なのだ。

 その情報が嘘であってほしいとロクは願うも、祥司の行動が違和感に変わり、あかりと組織に接点があると睨んでいる。

 手遅れにならないうちになんとしてでも瀬戸とその家族を助けたい。その意気込みで、インターホンを押した。

 ――あかりか?

「いえ、逸見です」

 ――逸見さん? はい、今行きます。

 玄関のドアがすぐに開いた。花柄のエプロンをしている瀬戸の姿が現れた。

「どうも突然すみません」

 ロクは頭を下げた。

「どないしたんですか? あれ、ミミさんは?」

「いえ、俺、ひとりなんです。ちょっと祥司君に訊きたい事があって」

「うちの祥司、何か悪いことしたんですか?」

「いえいえ、違うんです。あの、消しゴムのことについてもう少し当事の事を詳しく訊きたくて」

「ああ、あの不思議な話ですな。さあ、中へ入ってくださいな」

 なんとか取り付く事ができた。

「もしかして、お料理中?」

「そうなんです。落ち込んでるときは祥司の好きなハンバーグでも作ろうと思いまして。よかったら逸見さんもどうです?」

「いえ、あの、ミミが今夕飯作ってるんです」

「ああ、そうですか。おふたりさんも仲がよろしいですな。ミミさん、かわいらしいし、ええ子じゃないですか。それで結婚はいつ?」

「えっ!? そ、そこまでは」

「なんですか、一緒に住んではるんでしょ。だったら早く式を挙げといたほうがいいですよ。うちは、事情があってまだ挙げてませんけど、やっぱり若いときに形だけでもウエディングドレス着せてやりたかったなって今になって後悔です」

「でも、今からでもいいじゃないですか」

「まあ、そのうち結婚式は挙げてもいいかなとは思ってるんです。だけど、足を洗ってカタギになったとはいえ、まだまだ一筋縄ではいかん状態でしてね。どこで、昔の敵と出くわして何をしでかすかわからんのですわ。それでこのまま籍も入れず、事実婚のままでいいかと思ってるんですけど。祥司が父親と認めてくれたらそれで俺も満足ですわ。いや、俺のことはどうでもいいんですけど、経験上、逸見さんタイミングは逃さんといて下さいね。好きだと思ったら勢いも大切でっせ」

「は、はい」

 アドバイスを受ける立場になってしまった。

「そうや、祥司でしたな。今、部屋にいてゲームしてますんやけど、下りてくるようにいいますわ」

「いえ、俺が直接部屋に行ってみます。ちょっとしたことを訊くだけなので、すぐに帰りますので」

「そうですか。そんなら、その階段上がったすぐの部屋です」

「すいません、お忙しいところ、お邪魔して」

「遠慮しゃんといて下さい。俺、あまり友達おりまへんやろ。こうやって逸見さんやミミさんと仲良くできて嬉しいんですわ」

 瀬戸の笑顔が素敵だった。なんとしてもこの笑顔を守りたいとロクは思う。

 瀬戸がキッチンで料理をしている間、ロクは階段を上り、祥司の部屋に向かった。

 ドアを軽くノックし、少しだけ開けた。

「祥司君、入るよ」

 隙間から覗いた祥司はベッドの上でうつぶせになってゲーム機を操っていた。ロクが姿を見せると、体を起こしベッドの淵に座った。

 ロクは階段を見て瀬戸がいない事を確かめてから、部屋の中に入っていく。

 祥司が怖がるといけないので、ドアは閉めなかった。

 祥司が虚ろげな目でロクを見つめる。

「祥司君、これから訊く事はふたりだけの話にしてほしいんだ」

「うん、いいけど、何?」

「祥司君が今心配していることなんだ。それはお母さんのことじゃないかな」

「えっ、ど、どうして」

「祥司君はお母さんが仕事で困っている原因を知っていて、それが大変なことだってわかってるんじゃないのかい?」

 ロクの質問は祥司を動揺させた。図星だ。

「俺がお母さんを助けてあげる」

「お兄ちゃん、ほんと? 本当にママを助けてくれる?」

「約束する」

「あのね、ママね、悪い人に脅されてるかもしれない」

 ロクの思った通りだった。

「ある日、ママに電話が掛かってきて、その後、ちょっとコンビニ行くって言って出て行ったの。僕は何か買ってもらえるかなと思ってこっそり後をつけたら、ママ、変な男の人たちと会っていて何かを話してたの。心配で、ママの元に行ったら、その人達、近くに止めてあった車に乗ってすぐどこかに行ったの。何の話してたのってきいたら、仕事の話だから心配するなって、お父さんにも心配かけちゃだめだから変なこといっちゃだめだよって。そしたらその後、海外に出張が決まって僕なんだか嫌な予感がしたんだ」

 祥司の勘が働いたのだろう。それだけ異様な雰囲気を感じたに違いない。

「たまに黒猫がこの辺歩いていたんだ。その事を久ちゃんに言ったことがあるんだけど、そしたら魔女に変えられた黒猫かもしれないとかいって、その魔女が白石のお姉ちゃんだとか教えてくれて、だったらメモをお姉ちゃんのところに咥えてもってもらってこっそりと魔法で助けてくれないかなって思ったんだ。でも届かなかったみたいで連絡がなくて、それでお姉ちゃんに直接会って話そうと思ったの。仮病つかっちゃったけど、そしたらお兄ちゃんたちが来て邪魔したよね」

話がどんどん繋がってくる。

「ごめん。だから、今、助けにきたんだよ」

「ママ、出張から帰ってきて、ものすごく疲れてるんだ。きっと嫌な仕事してきたんだと思う。僕、そんなママを見るのが辛くて。きっとまたあいつらが来てママを脅すんだ」

 脅す――。

 輸入業に携わるあかりは組織には都合がいい。そして何より弱みがあり、それが瀬戸だ。瀬戸を守るためにあかりは犯罪の手伝いをせざるを得なくなった。一度手伝えばこの先ずっと脅され続けてしまう。

「大丈夫だよ。お母さんを脅すような奴らは俺がやっつけてやる」

 とにかく、祥司の話で裏が取れた。あとは山下に連絡すればいいだけだ。

 ロクは祥司としっかり約束をし、そして階段を下りていく。その時その先の玄関のドアが開いて、あかりが帰ってきた。

「あら、お客さん?」

「あ、どうも、お邪魔してます」

 小学生の息子がいると思えないくらいあかりは若く、茶髪と赤いネイルが派手に見える。ロクはあかりを目の前にして恐縮していた。

「お帰り、あかり」

 瀬戸がフライ返しを持って出迎える。

「この方は?」

「ほら、話したやろ、探偵の逸見さんや。この方のお陰で、カミングアウト上手いこといったんや」

「ああ、この人が。どうもその節はお世話になりました」

「いえ、特別に何もしてないんですけど」

 どう答えていいかわからないロク。

「なんやあかり、ちょっと顔赤いで。飲んできたんか」

「仕事の付き合いで、ちょっとだけ」

「んもう、疲れてるんやから、内臓に負担掛けるアルコールはあかんで」

「ええやん、和君、ちょっとくらい。飲まなやってられないこともあるの」

 あかりは靴を脱いで家に上がる時にふらついた。

「おいおい、結構飲んできたんとちゃうんか。ほんましゃーないな」

瀬戸は片手で支える。

祥司が階段を下りて、母の姿を見てショックを受けていた。

「ああ、祥ちゃん、今日は参観日いけなくてごめんね」

 瀬戸の肩越しにあかりは祥司と向き合った。

「ママ、ママ」

 祥司は心配でとうとう泣き出した。

「おいおい、祥司、何も泣かんでええやん」

 瀬戸はあかりと祥司の世話におろおろしていた。

「祥司君、大丈夫。ママはちょっと休んだら元気になるから」

 ロクは祥司をしっかりと見つめた。

「うん、そうだよね。大丈夫だよね」

 祥司は涙を拭いあかりの側に行って、瀬戸の代わりに体を支えようとする。

「祥ちゃん、手伝ってくれるの。ありがとう。和ちゃん、水もってきて」

 祥司に支えられ、あかりは居間へと連れて行かれた。

「逸見さん、なんか恥ずかしいところ見せて、すいませんな」

「いえいえ、それよりも早く水を持って行って下さい。俺はこれで失礼しますので」

「今度またゆっくりミミさんと遊びに来てくださいね。ミミさんにその時は一緒にお菓子作りましょうって言っておいて下さい」

「ありがとうございます。ミミも喜ぶと思います」

「あっ、そうや、これどうぞ」

 瀬戸は、エプロンのポケットから写真を取り出した。桜の木の前でロクとミミが並んで写っているものだ。

「ミミさん早く見たいやろうと思って、さっきコンピューターでプリントしたんですわ」

「ありがとうございます」

「和君、水」

 あかりが呼んでいた。

「今もって行くって。ほんましゃーないねんから。それじゃ逸見さん、気つけて帰ってな」

 瀬戸は申し訳ない顔をしてキッチンに戻る。

 ロクは靴を履いて、そっとドアを開けて去っていった。門の外へ出たとき、一度振り返った。色々な事情があるかもしれないが、瀬戸はとてもいい夫でありいい父親だとロクは思った。なんとしでてもそれを壊してはならない。

 スマホを取り出し、山下に電話を掛けようとしたその時、夕方の日が暮れかけたぼんやりとした暗さの中でスーツを着た男が現れた。


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