みずたまりの歩き方

「大人しいのにとにかく負けん気が強くてね、中飛車で吹っ飛ばしたら声殺して泣き続けてたよ。泣いたまま次の駒並べるから、やりにくくって。……ほら、あった」

仁木が示したのは古い写真だった。
大人に混ざって、恐竜のTシャツを着た少年が将棋を指している。
写真は小さく印刷も良くないが、言われてみれば久賀の面影がある。

そのすぐそばに、新聞記事が張ってあった。

「……『久賀夏紀(なつき)』って、久賀先生?」

「そうだよ。名前知らなかった?」

「先生の名前について考えたことないですもん。……って、ええー! 先生って小学生名人戦優勝してるんですか!?」

美澄は大きな声をあげた。
『優勝は東京都代表 久賀夏紀君(六年)』
写真には小学生の男の子が四人写っていて、中央にいる少年が久賀のようだった。
この頃になるとすでにチェック柄のシャツを着ている。

「六年生で、アマ四段……!?」

恐ろしいものを見た、というように美澄は自身の腕を抱えた。

「その年に奨励会に入ったみたいだね」

「典型的な将棋エリートじゃないですか……」

「ここにいた時もすぐに勝てなくなったよ。上達スピードが桁違いで、こういう子がプロになるのかもしれないなって思ったんだけどね」

小学生名人戦は、棋士の多くが参加経験のある棋士への登竜門。
実際、記事に載っている四人のうちひとりは、最近タイトルを獲得したという若手棋士だ。
そこで優勝しているなら、将来を嘱望されただろう。

仁木がそっとカウンターの久賀を見つめる。

「だから、もしかしたら久賀先生は、出来の悪い人間の気持ちはわからないかもしれないな」

美澄は棋譜に視線を落とす。
赤字で書かれた大雑把な文字は、姿焼きの棋譜と同じもの。
久賀の態度や言葉は、時折痛みを与えることがあるけれど毒はない。

「でも、悪い人じゃないみたいですよね」

久賀はカウンターでひたすら駒を磨いている。
その表情はいつもと変わらず、何の感情も見えない。

先生でも泣くことがあるのか。

新聞記事の写真をもう一度見て、美澄はそれを棚に戻した。


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