鬼麟
「......もう忘れたいのに」

 忘れたいと願えば願うほど縛られ、消えたいと願ってしまうほどに植え付けられた恐怖。
 それが如何程のものなのか私には分からないし、それは彼が口にしてもいいと思わなければ知る必要性がないことだ。
 けれど、彼が今すぐに消えてしまうことだけはなんとか堰き止められればと、借り物の言葉ばかりを並べ尽くす自分には気持ち悪さが募っていく。
 忘れてしまいたいと願う彼とは真逆に、忘れるものかと何度も火の粉を思い出すのだからおぞましいことこの上ない。

「ねぇ、蒼。私はあなたの過去について知らないし、興味もないけれど」

 この先幾度も繰り返すであろう蒼は泣いている。
 背中を押すことも、力になってあげられるようなことも私にはできない。けれど、“あの人たち”ならば手を取るだろうと彼をさらに強く抱き締める。

「過去を忘れたら、“痛み”を忘れちゃうんだ。それは同じことを繰り返すだけなんだ......」

 味わった痛みなんて知らないけれど、私は忘れたことで失った。
 正しいとは思わないが、私にはこれ以上蒼に失って欲しいとも思わないのだ。
 記憶の底にしまっていた、忌まわしくも愛おしい記憶が蘇り、言葉が詰まって喉の奥が痛い。気付けば私までも涙が滲んできていて、それは途端に溢れて頬を濡らしていく。

「あお、ごめんね......」

「も〜、なんでなっちゃんが泣いてんの〜」

 嗚咽を漏らして彼の肩に瞼を押し付ければ、いつの間にか私が彼に慰められていて立場が逆転していた。
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