逆プロポーズした恋の顛末


同年代のホステスは、みんながみんなとは言わないけれど、とっくに自分の店を持ったり、結婚したりと、各々目指すものを手に入れている。

祖母が亡くなって、もう必死に稼ぐ必要はない。
ほかにやりたい仕事があるわけでもない。
叶えたい夢が、あるわけでもない。

諦めた夢を、叶えようと思うほどの熱意もない。

母親を病で亡くした経験から、大学では医師を目指して勉強に打ち込んでいた。
社会人になってから医師を志すひともいるし、再挑戦するのは不可能ではないと思う。

でも、入学金や学費、在学中の生活費をどうやって捻出するか。
そんな現実問題が頭を過る。

祖母の供養、家の解体処分費用などで、貯金は限りなくゼロに近くなった。
それこそ、これまで以上にホステスの仕事に励まなくては、どんな夢も叶えられそうにない。


現実を生き抜くだけで、精一杯。
夢を食べては生きていけない。



溜息を吐き、食材をからっぽだった冷蔵庫へ入れ――普段から買いだめはしない主義――、ビールでも飲んで一息吐こうかと思いかけたところで、ぐうう、とお腹が鳴った。

そう言えば、朝食を食べたきり。ミネラルウォーター以外、何も口にしていなかった。


(作るのは……面倒だし。コンビニ……っていう気分でもない。何か、温かいものが食べたいな)


近所の定食屋やファストフード店を思い浮かべるが、どれもピンと来ない。
どうせなら食事とお酒の両方を楽しめる方がいい。

となると……。


(『Adagio(アダージョ)』かな。ご無沙汰してるし、空港で買ったお土産もあるし)


行きつけにしている『Adagio』は、繁華街の路地裏にある小ぢんまりしたバーだ。

マスターがひとりで切り盛りしていて、うっかりすれば見逃してしまいそうなほど控えめな店構え。

しかし、この街のクラシック音楽愛好家たちが集う店として有名で、プロの演奏家たちも立ち寄ると言われていた。

CDやレコードなどの音源で埋め尽くされた店内には、いつも心地よい音楽が流れていて、客のリクエストにも応じる。

マスターがこだわり抜いたスピーカーを通して流れる音楽を聴いて以来、自宅の貧弱なオーディオセットでは満足できなくなった客は少なくないとか。

ただし、わたしが通っているのは、クラシック音楽が好きだからではない。
ひとえに、勤め先に来る客と出くわすことなく、静かに飲めるからだ。

そういうわけで、休みの日の夕方に、『Adagio』でのんびりと、ひとりでお酒を楽しむのが長年の習慣。

時刻は、もうすぐ十八時。

いまからシャワーを浴びて、身支度を整えれば、開店時間の十九時には店に辿り着けるはずだ。

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