マエノスベテ
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カフェは昼を過ぎてきたからかあまり人がおらず空いていた。飲み物を頼んでしばらく待つ。その間彼が口元を乗せるように指先を組みながら、のんびりと言う。
「まあ、いいか、とにかく彼とその人物が会ったのが先週の金曜日だということを突き止めてきた。その日、きみの周りはどうだった」
ぼくらの向かいの席に座り、彼女は金曜日、としばらく繰り返す。
「先週の金曜日……金曜日ですか。金曜日はウシさんは朝から家の裏の山の方へ素材集めに出掛けていて、私はカタログなど片付けていましたね。予告無くいきなり人を呼びつけたりするので、しょっちゅう散らばって居ますので」
「ウシさんが山に居たのが確かだと、わかるものは、ないかな、きみ以外に誰かが見ていたとか」
彼が聞くと、彼女は記憶を懸命にたどるように視線を宙にさ迷わせた。
空間認識と記憶領域は繋がっているという興味深い論文を昔読んだ気がする。
右、左、上、下、過去、未来、いいこと、わるいこと。もしも、そうだとしたら彼女のデータベースは、いったいどのように積まれて、展開されているのだろう?
「はぁ。ええと……あ、そうですね、長靴に新しい泥がついてると思います。買ったばかりらしいのをはいて行きましたから。それから庭に出たすぐの朝、塀のところで、なにか文句を言いながら、擦ってて、警察に連絡したり……今は消えてるんですが、写真は撮ってあります」
彼女は、そう言って鞄から携帯を出した。くまさんが、こてんっ、と傾いて落ちかけたのでぼくは慌てて拾い上げる。
――助かった。若者。
「あぁ、うん……」
ぼくはいまいちくまさんの性格を掴みきれない。やがて携帯の画面から壁について何かがあったらしき写真がぼくらの前に示された。長靴姿で何かを消すようにブラシを構えたウシさんと、警察のものらしき制服を着た男性。
日付は、金曜日。このあと、山へ向かっているとなると、やはりウシさん自体はラーメン屋で待ち伏せていないことがわかる。
「やはり誰かに写真を渡され、きみを追い込むよう指示されている」
ウシさんが従いそうな人物は、それぞれすぐ見当がついた。
――というか『彼』以外、思い付かなかった。
2019/06/15 16:49
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やがてぼくの友人は、それからすぐ注文が来たというのに、立ち上がった。そして「映画館に落とし物をしたらしい!」
と、向かって行ってしまった。すぐ帰るから座っててくれと言われて彼を二人で待つことに。まぁ、映画館はすぐ上だ。迷ったりもしものことは、そうないだろう。根拠無く、そう信じた。
ぼくはそうして再び二人になったという気まずさを和らげることに苦心した。
彼女になにか気の利いたことが言えると良いのだが、残念ながらそういった経験には疎いため、ただ曖昧な笑みを浮かべ、ははっ、とギリギリの愛想で関わるくらいしかできなかったが、それでもなんとか、そこそこの距離を築けている気がした。
会話に困ってしまうが、変にペラペラ話しかける軟派な奴と思われるのも困る。
そうだ、こうしてのんびりと誰かを待っているときの定番ホームズとワトソンごっこでもしようかと、それにちょうどいい観察対象を探していると、(ちなみにホームズは途中までしか読んでいない)彼女の方から話しかけてきた。
「今日は……朝から、ありがとうございます」
「あー、えっと、はい」
何がはいなのかもわからないが、何がありがとうなのかもよくわからず曖昧に返す。
「私、あの生活が続いてたある日、限界が来て。もう来ないでほしいと言い、そのために、好きな相手が居るからと――言ったんです」
「居るんですか?」
「どう思いますか?」
ふふ、と彼女は少し儚く笑った。
「幸せになれますよ、次は」
直接、肯定も否定も具体的な話もしなかったが、彼女はその意図を組んでくれたらしい、さっきよりも楽しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
2019/06/15 17:26