あなたに、キスのその先を。
「そこはそれ、ちゃんと市役所の方々が教えて下さるはずだ。行く前からあれこれ気にしすぎるのはお前の悪い癖だぞ」

 そういう、心配性なところは父親譲りらしい。お母様が、前に「自分と似たところは気になるものなのよ」と教えて下さったことがある。

 ちなみに空想好きは……記憶にないくらい昔に、見知らぬお兄さんに本の楽しさを教えて頂いた時からだと記憶している。
 健二さん同様、お顔を思い出そうとすると霞がかかってしまって無理だけれど……大きな手の、穏やかな声の人だった。
 あの方が読んでくださった物語は、とても心地よく空気を震わせて……私はあっという間に物語の中に入り込めたのだ。
 本の世界は何て楽しいんだろう、って目の前が一気にキラキラと輝くような気持ちになったことを、私は今でも鮮明に思い出せる。

(いつどこで出会った、どなただったのかしら?)

 彼が物語を読み聞かせてくださった低音の優しい声音は思い出すことが出来るのに、その他のことはほとんど思い出せないなんて、「何だかとっても情けないのですっ!」と思って。

 (健二さんもあんなお声だったらいいのに)

 ふと、そんな取り止めのないことを思ってしまった。
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