想い出は珈琲の薫りとともに
 数人で撮られた写真。場所は昔、母が働いていた料亭の前。そこには三人の男性客と、それを挟むように和服姿の年配の女性と母が立っていた。
 そしてその中に、ずいぶんと若いが自分の知る二人の姿があった。

「泰史は……もしかして、この写真見たことがあったのかしら」

 不意に尋ねられ「ある」とだけ答えた。
 戸籍を見せられてからしばらくしたのち、母の書棚から本を取り出そうとすると落ちてきたものだ。
 この家に、私が生まれ前の写真などなかった。唯一、それが一枚。そして裏側には『穂積様と』と書かれていた。

「偶然見つけて。しばらく持ち出した」

 その店が無くなっていればそこで終わっていた。だが当時も、そして今も店はある。
 その写真を持ち私は店へ向かった。従業員を呼び止め尋ねるとすぐに答えは帰ってきた。

『穂積の会長さんとご次男さんですね。この方は存じ上げませんが』

 大学生の自分でも知っていた穂積グループの会長とその息子。そのとき、どうでもいいと思っていた感情が湧きあがった。

(自分の出自を知りたい)

 母には聞けなかった。だから自力調べ上げ、そして就職した。会長の次男が経営する会社に。

「……この手紙は?」

「これはあなたが生まれて何年か経ってから送られてきたもの。そこに全て書いてあるから」

 恐る恐る手に取る。ところどころ色褪せる、その封筒に書かれた文字には見覚えがある。差出人を確かめることなくその中身を取り出した。

 数枚に渡り綴られていたのは、私が知りたかったことの全てだった。
 カチ、カチ、と時計の秒針の音だけが響く居間でそれを読み終えると顔を上げた。

「どう? 仮説は合っていた?」

「ほぼ……」

 そう答えて深く息を吐く。母は穏やかな表情で私を見ていた。

「今日はここに来てよかった」

「そう。よかったわ」

 複雑に絡み合っていた糸が、だんだんと解けていくような感覚。
 そして、安藤の言葉も腑に落ちた。

『薫さんは御大のこと、何か誤解しているんじゃないかって』

 私も同じ。誤解していた。ずっと……。
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