想い出は珈琲の薫りとともに
「上司の婚約者を苗字で呼ぶのもよそよそしいと思ったまでです。安藤もせめてさん付けで呼びなさい」

 不愉快そうに眉を上げると、井上さんは眼鏡を指で持ち上げる。

「仕方ないなぁ。ま、公式の場以外ではちゃんでもいいでしょ?」

 安藤さんは全くへこたれる様子もなくそう返している。井上さんは、それにより眉間に皺を寄せ、溜め息だけ返していた。

「それより、服を選ばないと」

 私があいだに入ると、安藤さんは楽しそうに「そうしよ?」と私を促す。

「安藤に時間を取られました。では、本題にはいりましょう。当日、薫さんが着る服もここで用意されています。それに合うドレスを何着か用意いただきましょう」

 そう言うと、井上さんは控えていた店員の元へ向かい、英語で話しかけていた。

 (さすがにイタリア語はできなくても、英語は話せるか……)

 流暢に会話する井上さんを眺めながら、私はそんなことを思っていた。
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