想い出は珈琲の薫りとともに
 途中休憩を挟みながら三時間半。車窓には、実家のある市の一番賑わう辺りの景色が流れていた。

「初めて訪れたが……。思っていた以上に賑やかな場所だね」

 薫さんはハンドルを握り、車を走らせながら口にする。
 確かに、フロントガラスの向こう側にはそれなりの数、背の高いビルも見えている。けれど、東京のように進んでも進んでもそのビルが視界から消えない、なんてことはない。ほんの数キロ走るだけで驚くほど景色は変わるのだ。

「この辺りだけです。実家のあたりなんて、ほんと何もないから逆にびっくりしちゃうかも。……あ。もうそこが駅です。ナビ、セットし直しますね」

 時間はまだお昼前だ。実家に向かう前に、どうしても寄りたい場所がある。車で行くことはなかったから、私はスマホを見ながらその場所の電話番号をナビに入れた。

 駅前からはほんの十分ほど。市街地の外れに近いその場所は、私の高校時代から何も変わっていなかった。

 懐かしい白木のドアを押すと、カランとドアベルが鳴る。スイーツメインのこの店はこの時間空いている。他にお客様はいなかった。

「いらっしゃい……。って、亜夜ちゃん!」

 私の顔を見て、声を上げたのはこの店を経営するご夫婦の奥さん。

佑子(ゆうこ)さん! ご無沙汰してます」
「来てくれてありがとう! 会えて嬉しい」

 私たちは手を取り合って燥ぎ合う。
 実家に帰るときは必ず寄るが、久しく帰省していないぶん、ここに寄るのは数年ぶりだ。と言っても時々連絡はしていて、今日も寄ると送っておいた。

「おっ? 亜夜ちゃん! 元気そうだな?」

 嬉しそうに笑顔を見せて奥から現れたのは佑子さんのご主人。

徹平(てっぺい)さんも。変わってないね!」

「ところで……。亜夜ちゃん。もしかして……旦那さん?」

 後ろに立つ薫さんの姿を見ながら、佑子さんは驚いたように目を見張っている。その気持ちはわかる。毎日見ている私でさえ、いまだに見惚れてしまうくらい整った容姿なのだから。
 けれど、佑子さんには心配をかけてしまいそうで何も話せていない。今日話そうと思っていたから、いきなりそう尋ねられて驚いた。

「え? なんで……?」

「あぁ……。ちょっと、亜夜ちゃんが結婚したらしいって小耳に挟んだものだから。こういうときの田舎のネットワークって侮れないよね」

 苦々しい表情で佑子さんは答える。その通りで、広いようで狭い田舎。噂など人伝にいくらでも広がるのだ。
 私は、曖昧な笑みを返すしかなかった。
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