想い出は珈琲の薫りとともに
 辺りを伺うように化粧室を出る。幸い薫さんらしき人の姿はなかった。それでも気を抜けず、すみに隠れるようにラウンジに向かった。
 
(あれは……?)

 目に入ったテラス席。一番奥でよく見えないが、真砂子は誰かと話をしているようだった。
 まさか薫さん⁈ と目を凝らして見ると、さっき薫さんが着ていたダークな色のスーツとは違い、ライトグレーのスーツを着た男性のようだ。
 すぐにその人は去り、真砂子はその場で立ち上がった。

(ふう、起きちゃったんだ!)

 風香をあやすように揺れている真砂子を見て、私は慌てて席に戻った。

「ごめん! 真砂子。ふうの面倒まで」

「あっ、亜夜。大丈夫?」

 自分の子どものように手慣れた様子で風香をあやしながら真砂子は言う。

「うん。ごめんね、驚かせて。ふう、ありがとう。代わるから」

「私もう全部食べちゃったし、亜夜はゆっくり飲みなよ」

 見れば、テーブルの上にあるコーヒーも、一緒に頼んだケーキの皿も綺麗になっている。

「助かる。すぐ飲んじゃう」

 冷め切ったマキアート。せっかく淹れてくれた人に申し訳ない気持ちになりながら、私は味わうことなく流し込んだ。それは、今の自分の気持ちくらい苦々しいものに変わっていた。

「そういえば、さっき誰かと話してなかった?」

 立ったままの真砂子に尋ねると、少しだけ動揺したように瞳が揺れた。

「えっと、店のお客さん。最近姿見てなかったんだけど、私を見つけて声かけてくれたの」

 なんとなく様子はおかしいが、それ以上は言いたくないようだ。私は「そう」とだけ答えた。
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