想い出は珈琲の薫りとともに
 今日の出勤は午後からだ。私はいつも通りの時間に風香を保育園に預けるといったん帰宅した。
 保育園から帰ったら食べさせる離乳食やおばさんのための夕食。他にも風香の着替えなどをわかりやすい場所に置いて家を出た。

 今日は一日雨予報。朝はそれほどでもなかったけど、だんだんとその雨足も強くなってきている。

(今日はお客様も少ないかも……)

 足元で跳ねるパシャパシャという水音を聞きながらそんなことを思う。
 急な豪雨の雨宿りで不意に混み合うことはあるけど、一日中雨の日はどちらかと言えばお客様は少ない。特に夜にかけてより降る予報だから、閉店時間にはより少ないだろうと予想して、まさにその通りになっていた。

「雨、結構降ってましたよ」

 外にゴミを捨てに行った桃ちゃんが戻って私に話しかけた。アルバイトの中では今日は桃ちゃんが最後までいてくれるのが心強い。

「やっぱり? さっきのお客様も結構酷い雨だっておっしゃってたから。今日は閉店作業も早く終わりそうだし、桃ちゃんは時間がきたらすぐ上がってね」

「ありがとうございます。亜夜さん。じゃあ私、先に奥片付けときますね」

「うん。お願い」

 時間は夜七時を回ったところだ。この店のラストオーダーはイートインなら七時半、テイクアウトは七時四十五分。さっきから客足は途絶えていて、今日は私もすんなり帰れそうだ、なんて思っていた。
 それからもお客様は数人しか来店せず、いよいよ本格的に閉店作業に入ろうかとカウンターの回りの清掃を始めていた。備品の補充でもとそちらにかかりきりになっていた私は、来客に気づいていなかった。

「すみません。オーダーよろしいでしょうか?」

 カウンターに背を向けていた私はその声に慌てて振り返り、そして硬直した。

「い……のうえ、さん……」
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