想い出は珈琲の薫りとともに
 グラインダーで豆を挽き、ホルダーの中に圧力をかけ固めた粉をセットして抽出する。出来上がりまでの時間はほんの数分。エスプレッソの語源が『急行』と言われいるのはその速さだった。

「お待たせいたしました」

 差し出されたデミタスカップには、特有のクレマ(あわ)が浮いている。

「いただきます」

 私はまず出されていた水を口に含む。グラスを置き、カップを持つと、まず手で覆うようにして香りを確認した。それからカップに口をつけ、一口含んだ。
 まだお砂糖を入れていないそれは、目の覚めるような苦味。けれど深いコクもある。

(これ……もしかして……)

 もう一度確かめようと、シュガーポットからお砂糖を掬うと二匙ほど入れ軽く混ぜる。そして、クレマが消えないうちにそれを流し込んだ。

「……いかがですか?」

 真剣になりすぎて、周りが見えていなかったかも知れない。井上さんに話しかけられ、私はハッとして振り返った。

「あ……。これ、エドも関わってますか?」

 一口にエスプレッソと言っても、どの店も同じ豆を使っているわけではないし、煎り方も少しずつ違う。けれど、今飲んだものは、あのローマのホテルで飲んだものになんとなく似ている気がした。

「さすがですね。ここの経営こそ私たちですが、ホテルはエドアルドのもの。もちろんすべて彼に監修していただいています」

「やっぱり……そうですか」

 そんな私たちのやりとりを、バリスタはそばで固唾を呑んで見ていたようだ。経営者の右腕が連れて来た客が、ただコーヒーを飲みに来店したわけじゃないのは、私の行動を見ていればわかるはずだから。

「ほかに何かありませんか?」

 静かに尋ねられ、私は一瞬躊躇った。

(どうしよう。私なんかが意見してもいいのかな……)

 少し引き攣ったような顔で立つバリスタの顔を盗み見て思う。
 けれど、井上さんが欲しいのは率直な意見。私は深呼吸するように息を吸うと、切り出した。
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