想い出は珈琲の薫りとともに
6.sei (薫 side)
(ここを訪れるのも久しぶりだな)

 五月下旬の明るい日差しを浴びる庭の、砂利道を歩きながら思い出す。
 穂積家の菩提寺。この辺りでは一番大きな由緒ある寺。一般にも公開しているその風光明媚な庭は広く、ゆっくりと散策するものの姿も見えた。そして、今から行われる法要に向かうものの姿も。

 現当主である祖父の、弟の息子。私から見れば従叔父(じゅうしゅくふ)にあたる人の三十三回忌。
 三十を迎える前に亡くなったその人に会った記憶はない。結婚はしていたものの子はなく、妻だった人とは死後に婚姻関係を解消したと聞く。
 跡継ぎがいなくなった大叔父はたいそう嘆いたようだが、その後娘に養子を取らせて跡を継がせたようだ。
 それを耳にしたのはずいぶんと昔のこと。そこまでして家が、名前が大事なのかと虚しさを覚えたことを思い出した。
 だが、今回はその人の弔い上げ。最後に盛大に行われる法要に、顔を出さないという選択肢はなかった。

 懐かしい池のほとりに立ち、悠々と泳ぐ鯉の群れを眺める。そこに人が立つと、鯉たちは口を開け天を仰ぐように寄せ集まった。

(私は……この鯉と同じだ)

 求めるだけで、この池から出ることはできず、ただ与えられるのを待つだけの存在。与えられるものが本当に欲しいものとは限らないのに。

「おや。薫か」

 地面に埋め込まれた岩にカツンと杖が当たる音がして振り返る。

「お祖父(じい)様。久しくご無沙汰しておりました。お変わりございませんでしょうか」

「ああ。変わらぬ」

 祖父は杖は突いているものの、しっかりした足取りで私のそばまで来ると並んで立った。

「どうだ、事業は。なかなかに順調だと聞いておるが」

「おかげさまで。なんとか軌道に乗りようやく余裕も出てまいりました」

 まだ水面に群がる鯉に視線を落とし私は答える。
 祖父は高らかにに笑い声を上げたかと思うと、嬉々とした様子で続けた。

「ではお前もそろそろ身を固めなければならぬな。もう忙しいと言い逃れはできぬぞ」
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