極上の花嫁~石油王は揺るぎない愛を注ぐ~
第一章 偽りの愛

「……ハァ……」

ニューヨーク行きの飛行機の窓際の席からぼんやりと外を眺める。

私はまさに今、人生の岐路に立たされている。

勤めていた子供服の販売会社が倒産して職を失っただけか、一人暮らしをしていたアパートが老朽化を理由に取り壊されることが決定し退去を迫られた。

職なし、家なし、金なし、彼氏なしの四重苦。

仕方なく叔父と叔母に頭を下げて二人が経営する旅館で仲居として働き始めた矢先、突如お見合い話が浮上した。

お相手は地元の田舎町では有名な企業、北条グループの御曹司だ。

旅館で働く私を見て、叔父に『ぜひお見合いがしたい』と申し出があったという。

『無理して引き受ける必要はない。断ってもいいんだぞ』

叔父はお見合いに積極的ではなかった。

それもそのはず。酒と女にだらしない御曹司だと有名だったからだ。

けれど、すぐに断るという選択肢はなかった。

北条グループは地元の人間に顔が利くし、取引先にはうちを贔屓にしてくれているお客さんも大勢いる。

叔父の手前一度は会ってみたけれど、北条さんは噂通り初対面の私に高圧的な態度で接した。

『結婚したら、うちの両親と同居になる。それと、母に代わって高齢の祖母の介護もするんだ。それぐらいのことならお前にもできるだろう』

私の意思も尊厳もプライドもすべてを無視したその言葉に憤りが募る。

『私がお断りしたらどうなりますか?』

『断る理由はお前にはないだろう?それに、こんな旅館を叩き潰すのは朝飯前だ。その覚悟がお前にあるのなら断ればいい』

北条さんはクックッと喉を鳴らして笑った。

有無を言わさぬその言葉に私は黙って拳をきつく握り締めた。

なんて卑怯な男なの……。私が断れないことを知っているくせに。

すると、今度はこんな提案をしてきた。

『正式に結婚が決まったら叔父夫婦の経営する旅館への資金援助、それに妹たちの教育費も全てこちらが出してやろう。そんなことができるのは俺ぐらいなものだ。感謝するんだな』

見合いの最後、彼はこう付け加えた。

上から目線のなんて嫌な男なの!?結婚なんてこっちから願い下げよ―ー!!

と、怒鳴りつけるわけにもいかず私は怒りにこめかみを引きつらせることしかできなかった。

あの日のことを思い出すと今も腸が煮えくり返る。

「この飛行機はただいまからおよそ20分でジョン・F・ケネディ国際空港に着陸する予定でございます」

機内アナウンスが流れ、私は手荷物をまとめ始める。

私には北条さんと結婚する以外の選択肢はない。

叔父の老舗旅館の経営状況が思わしくないのは以前から知っていた。その危機を救うことができるのは私だけなのだ。

私さえ我慢すればすべてがうまくいく。

両親を交通事故で同時に亡くして路頭に迷っていた私達3姉妹を快く引き取り、何不自由ない暮らしをさせてくれた叔父と叔母には感謝の気持ちしかない。

ここで結婚話を断りでもすれば北条さんに逆恨みされるのは間違いない。

そして、叔父たちの旅館を潰そうと躍起になるだろう。

そうなれば、恩を仇で返すことになりかねない。

……結婚するしか道はない。

結婚すれば、旅館の経営状況を気にかけて進路を迷っている高校生と中学生の妹たちも自由な道を選ぶことができる。

北条さんとは10日後に再び顔を合わせることになっている。

そこで正式に結婚の返事をしなくてはならない。

――私はあの男と愛のない結婚をするんだ。



私を乗せた日本からの直行便はニューヨーク市郊外のJFK空港のターミナル1に到着した。

100近いエアラインが就航する空の玄関と呼ばれる世界最大規模の空港だ。

右も左も分からないまま他の乗客に続くように飛行機を降りて、2時間待ちの入国審査を終えた。

「ハァ……疲れたぁ」

荷物を引き取る頃にはどっと疲れが溜まっていた。

空港からマンハッタンまではエアトレインと地下鉄を利用する予定だ。

その前にどこかで少し休んでからホテルへ向かおう。

1階の到着ロビーを抜けて3階まで上がり、飲食エリアへ向かう。

初めての海外旅行。しかも、一人旅。

不安と緊張を抱えながらもなんとか無事に憧れのニューヨークまで来ることができた。

ホッと安堵したことで気持ちにゆるみが生じていた。

肩にかけていたバッグをスーツケースの上に乗せそのままゴロゴロと引きずっていると、突然後ろから声をかけられた。

足を止めて振り返るとそこには初老の男性が立っている。

「タクシー乗り場はどこにあるか知っているかい?」

「タクシー乗り場ですか?……えっと……」

男性は英語でタクシー乗り場の場所を尋ねた。私は手に持っていた空港のパンフレットを開き、タクシー乗り場を確認する。

「今、私たちはこの場所にいます。まずは3階から1階まで降りてください。エレベーターも近くにあります」

地図を見せながらゆっくりと説明しているのに、おじいさんは首を傾げている。

私の英語がネイティブじゃないから聞き取れないの……?

再び説明しようとすると、おじいさんはにこりと笑って「ありがとう」と手を振って去っていく。

「なんだったの……?」

あまりの変わり身の早さに首を傾げながらスーツケースに手を伸ばす。

「……はっ!?」

そのとき、体中の血の気が一気に引き、顔が強張った。

嘘でしょ……?自分の周りに視線を走らせる。

スーツケースの上に置いてあった貴重品を入れたバッグがない。

「と、取られた――!!」

振り返ると、私のバッグを掴んで駆けていく男の姿があった。

「泥棒!!誰か捕まえて!!!」

大声で叫んだものの、日本語だったせいか周りの人々は不思議そうに私を見つめるだけだ。

タクシー乗り場を教えている隙に取られたんだ……!!

「嘘でしょ……」

先程までいたおじいさんも忽然と姿を消した。

あのおじいさんが私の気を引いている間に、仲間がバッグを持っていたんだろう。

海外では常にバッグから手を離してはいけないと本を読んであれほど勉強しておいたのに。

なんていう連携プレーだ。

「どうしよう。お財布もパスポートもスマホも……全部取られた!!」

思いっきり楽しむはずの7日間限定の海外旅行に暗雲が立ち込めた瞬間だった。
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