僕惚れ④『でもね、嫌なの。わかってよ。』

本文

 今日はバレンタインデー。

 講義が一つ休講になって予定より随分早く帰れた葵咲(きさき)は、帰宅するなり特別な夕飯(ディナー)支度(したく)と、手作りガトーショコラを冷蔵庫に仕舞ってから、恋人の理人を迎えに大学へ戻った。

 何も連絡をせずに突撃したのは、どうせ勤務時間内に連絡しても理人が携帯を見られないことを知っていたのと、彼がどこにいて何時に仕事を終えるか知っていたから。

 理人の勤務先の図書館下で待っていれば、問題なく合流できる。

 ――はずだったのだけれど。


***


「あ、あのっ、池本先生、コレ! いつもお世話になってるお礼に……その、ぎ、《《義理チョコ》》です!」

 大学図書館内のエレベーターを降りてすぐのところで。

 葵咲(きさき)は恋人の理人が真っ赤な顔をした女子学生から、チョコレートが入っていると思しき紙袋を差し出されているのを見てしまった。

 何故かエントランスホールの扉が片側だけ開け放たれていて、聞きたくないのに女の子が一生懸命理人に詰め寄っている声を聴いてしまった葵咲だ。

 その真剣そのものな様子に、思わず死角へ隠れてしまってから、葵咲は小さく吐息を落とす。

 口では義理とか言いながら、あれは絶対に本命だ……とぼんやりと思った。


***


 思えば、自分にとって単なるお兄ちゃんに過ぎないと思っていた小学生の頃から、池本理人という男はずっとずっと異性からモテ続けていた。

 葵咲の記憶の中の理人は、バレンタインデーになると毎年抱えきれないほど沢山のチョコレートをもらっていて。

「さすがに僕一人じゃ食べられそうにないから葵咲ちゃんも手伝ってくれる?」

 そう言って葵咲によくおすそ分けをしてくれた。

 幼い頃は宝石箱をひっくり返したような様々な種類のチョコを理人と一緒に食べられるのが嬉しくて、大喜びでご相伴(しょうばん)になっていた葵咲だ。

 でも、いつの頃からか、それが苦痛になってきて――。
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