忘却不能な恋煩い〜再会した彼は、恋焦がれた彼女を溺愛する〜
 案の定、起きた時に彼女の姿はなかった。

『すごく素敵な夜でした。ありがとう。美琴』

 テーブルの上のメッセージを見つけ、がっくりとうなだれる。

 ピアスは彼女が付けていったようだ。それだけは嬉しかった。

 この気持ちはなんだろうな。きっと心を奪われた女性が消えてしまったという喪失感なのかもしれない。

 それからすぐにアメリカ行きが決まった。何度かあのバーに足を運んだが、彼女は姿を現さなかった。

 海外にいる間、同じように一夜だけの付き合いはあったが、特定の女性を作る気は起きなかった。

 なんかしっくりこないんだよなぁ。俺の心は三年前に彼女に囚われたままなようだ。いつか彼女を越えるような人出会えるのだろうか。

 日本に戻ることが決まったのは三ヶ月前だった。当時の専務の退職が決まり、父である社長から辞令が降りたのだ。

 久しぶりに帰国し、新しい役職と仕事に奔走していた。そんな時だった。

『三年前の女性が来店しています』

 オーナーの藤盛さんから連絡が来たのだ。もう続くことはないと思っていた想いが蘇る。

 仕事も放り出して、慌てて店に向かった。入口の前にちょうど入店しようとしているグループを見つけ、紛れるように店内に入った。

 藤盛さんと目が合うと、視線でカウンター席を示す。

 彼女の後ろを通って、いつもの席に着く。通り過ぎる瞬間に見えた横顔は、紛れもなく美琴だった。ただ、浮かない表情をしているのが気になった。

 藤盛さんに目配せをし、とりあえずウイスキーを一杯もらう。

 すると美琴の口から思いがけないワードが飛び出す。不倫をしていること、別れたいのに別れられないこと、そして今も三年前のことを引きずっていること……。

 不倫にはショックを受けたが、彼女も同じ気持ちを抱いていたことが嬉しかった。でもだからといって、俺に会いたいと思っているかは別だった。

 俺は三年前のあの日には、まだ未来があると思っている。でも彼女がそう思っていないなら会わない方がいいのかもしれない。

 その時、黒髪の彼女が三年前の尋人の名刺を取り出したのだ。まだ持っていたことに驚いたが、尋人にとっては見極めるチャンスだった。

 もし美琴が俺の名刺に興味を示したら声をかけよう。拒否すれば去ろう。

 そして美琴は名刺を手に取った。

 その瞬間、俺の中で止まっていた何かが動き出したんだ。今度こそ逃がさない。君を手に入れたいんだ……。

 ただ最初の言葉がきつくなってしまったことは反省している。彼女が他の男のものになってしまったことへの苛立ちを隠せなかった。

 それでも誤解を解いて三年振りに彼女を抱いた時は、この上ない幸せを感じてしまった。やはり彼女は特別なんだと実感する。

 パソコンを開き、メールの確認を始めた時に扉をノックする音がした。

「どうぞ」

 扉が開き、細身の長身の男が入ってくる。秘書の千葉尚政(ちばなおまさ)は尋人の一つ年下の従兄弟で、昔から気の合う仲間のような存在だった。だからこそ、信頼出来る彼をアメリカに同行させたのだ。

「おはようございます。いつもより早い出社で驚きましたよ」
「やり残した仕事があっただけだよ。今日の予定は?」
「三十分後にアメリカ支社とのミーティング、十五時から和ダイニングの新店舗の打ち合わせが入ってます」
「わかった」

 尚政は無表情のまま、尋人を上から見下ろしている。彼が何を言いたいのかわかっていた。

「……金曜日は悪かったよ。何も言わずに飛び出して」
「まぁ悪いと思っているならいいですよ。藤盛さんからも連絡もらってるので、ある程度のことはわかってますし」

 尋人ははっとする。あの時は慌てていて、藤盛さんに口止めするのを忘れていた。

「とりあえず良かったですね。引きずっていた彼女とやっと再会出来たわけだ。ちゃんと話せたんですか?」
「あぁ、話したよ。で、しばらく一緒に住むことになった」

 満面の笑みで話す尋人に対し、尚政の表情は固まり、口の端が引きつる。

「はっ…? 一体どういう……」
「詳しくはまた後で。ミーティングの準備をさせてくれ」

 尚政は納得のいかない顔をしていたが、公私混同するわけにはいかない。渋々引き下がる。

「わかりました。ではまた後ほど」

 そして部屋を出るなり、勢いよくドアを閉めた。
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