忘却不能な恋煩い〜再会した彼は、恋焦がれた彼女を溺愛する〜
私の居場所
 土曜日の朝だというのに、美琴は朝からソワソワしていた。

 いつも通りに目が覚め、いつも通りに朝食を作る。

 尋人はといえば、今も布団の中でぐっすりと眠っている。

 昨夜の会食が何時までだったのかはわからないが、美琴が寝入ってから帰宅したことは確かだった。

 実は昨日紗世に尋人の名刺を見せてもらうまで、三年前の役職のままだと思い込んでいた。しかしまさかブルーエングループの専務だったとは……。

 広いリビングを眺め、そりゃそうだよなと納得する。こんな素敵な部屋、エリアマネージャークラスじゃ住めないよね。

 専務だもの。きっと仕事が忙しいはず。なのにこの一週間は私のことを優先してくれていたことに、嬉しさと申し訳なさが同じくらいの割合で心を占める。

 これから少しずつでいいから、もっともっと尋人のことを知りたいな……。

 時計を見ながら、先に食べるか待つか悩んでいると、寝室のドアを開けて尋人が起きてきた。

「おはよう。起こしちゃった?」
「おはよう。もう八時だしね、自然と目が覚めた」

 いつもより疲れが残っているように見える。あんなに寝癖を立てて、目が開ききっていない尋人は初めて見る。新しい一面を見られて嬉しくなる。

 洗面所で顔を洗って戻ってきた彼は、いつものようにシャキッとしていた。

 美琴はお味噌汁を温め直してから器によそうと、カウンターの上に置く。

「昨日は先に寝ちゃってごめんね。帰りは遅かった?」
「いいよ、寝てて。俺も酒入ってたし、何時だったか覚えてなくてさ」
「もっと寝ててもいいんだよ」
「うーん、それよりお腹すいたかな。それに今日は……ね」

 美琴は嬉しそうに頷く。

 そう。待ちにに待っていたダイニングテーブルと家具一式が届くのだ。

「何時って言ってたっけ?」
「十時から十二時の間!」

 少々食い気味に答えた興奮状態の美琴が面白くて、尋人は笑いを堪えられなかった。

「そういえば、昨日は友達と楽しかった?」

 食べながら話す尋人に、美琴は口を膨らます。

「いろいろ知ってたんでしょ? 紗世から聞いた」

 あぁ、口止めするの忘れたな。

「まぁね。で、どんな話したの?」
「うん……先週のあの後のこととか、誤解が解けたこととか……つ、付き合うことになったこととか……」
「ふ〜ん、なるほど」
「一緒に住んでることは既に知ってたけど」
「あぁ、言っちゃった。おっ、この味噌汁うまい」
「本当? 嬉しいな」

 褒められて喜んだものの、なんか自然と流されたような気もする。

「昨日ね、紗世が初めて自分の恋の話をしてくれたの。今まで一度もなかったのに。私が知らないところで紗世なりにいろいろあったんだなぁと思うと、少し寂しかったかな……」
「まぁあの二人なりに考えてのことだと思うしな。きっと今がそのタイミングだったんだよ」
「……波斗先輩と高校が一緒だったの?」
「聞いたの? 別に秘密でもないからいいけど」
「どんな生徒だった?」
「上野? それとも俺?」
「まずは尋人、で、波斗先輩」
「そうだなぁ、俺は鬼の生徒会会計と呼ばれてた」

 あまりにもイメージ通りだったものだから、思わず吹き出す。

「何か言いたいことがあるなら聞くが……」
「いえいえ、滅相もございません」
「ならいい。上野は……いつもニコニコしてて、昔からあんな感じでいい奴だったよ。天文部が時々ゲリラ観測会とかやらかすもんだから、会長と一緒によくあいつらを追いかけ回したっけなぁ」

 あいつら……美琴はドキッとした。波斗先輩と一緒にいて、天文部で問題児といえば一人しかいない。

 でもまさかここまで偶然が重なるなんて思わないはず。

「でさ、すごい偶然なんだけど、上野と一緒につるんでた天文部の問題児と前に一緒に仕事をしたのを思い出してさ」

 尋人はデニムのポケットから一枚の名刺を取り出す。

『竹芝設計事務所 大崎健(おおさきたける)

「美琴さ、兄弟いるよね?」
「兄が一人……」
「ほう。名前は?」
「……知ってて聞いてるでしょ?」

 美琴が言うと、尋人はニヤッと笑う。

「美琴の反応が面白いからつい。それにしても上野といい、大崎といい、不思議な繋がりがあるもんだな」

 尋人は立ち上がり、自分と美琴の食器をシンクに片付け洗い始めた。

 こういうところ、すごくスマートだよね。一人暮らしが長いのかもしれないけど、さり気なくやってくれるのがすごく嬉しい。

「兄とは今も繋がってるの?」
「美琴と出会う前に、新店舗の内装をお願いしたことがあったんだ。それから時々飲みに誘われたりして。でもまさか大崎の妹が美琴だったとはびっくりしたけど」
「私は学校が違うから知らないんだけど、そんなに問題児だった?」

 すると珍しく尋人の顔がひきつる。

「まぁ……いろいろな……」

 これは相当やらかしているに違いない。尋人に対して申し訳なくなる。

「まぁもうお互い大人だし、今は笑い話だよ」

 尋人は美琴の隣に座ったかと思うと、頬杖をついて美琴を見つめる。

「さて、食後の運動なんてどう?」

 なんて甘い誘惑。その声と瞳で見つめられると、体の奥が疼いてしまう。

「で、でもやることあるし、それに家具も届くし……」
「まだ時間あるじゃん。三十分くらいゆっくりしても問題ないと思うけど」

 私だって、昨日尋人に触れなくて寂しかった。

 尋人に唇を塞がれて力が抜ける。

「美琴かわいい……。ベッドとソファ、どっちがいい?」

 この間のことで味をしめたのだろうか。でも美琴は尋人と繋がれれば場所なんてどこでも良かった。

 彼に寄りかかり、首に手を回す。そして耳元で囁く。

「どっちでもいいから、早く尋人を感じたい……」

 尋人は美琴を抱き上げると、寝室に駆け込んだ。

* * * *

「すごい……! 素敵すぎる〜!」

 届いたばかりのダイニングテーブルに頬ずりしながら、美琴が身悶えている。

「こっちの食器棚も、チェストのセットも、なんてかわいいの〜!」

 想像していた以上に美琴が喜んでくれたので、尋人は笑顔でその様子を見守っていた。

 よく見てみれば、楽しそうにはしゃぐ様子は大崎とそっくりだ。

 あの頃は真面目に学校運営をしている側と、自由に校則を破る側とでイライラしたりもしたが、あの行動力に完敗した日もあった。

 あいつもまさか俺と妹がこんな関係になってるなんて知ったら驚くだろうなぁ。むしろ嫌がるか?

「尋人」
「ん?」
「あの……ありがとう。こんな素敵な家具、すごく嬉しいの……」
「いえいえ。どういたしまして。早くこの部屋が美琴色になるといいな〜」

 この意味、わかってる? そう思いながら、部屋の中に広がる木の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。なんとなく美琴っぽい香りにホッとする。

 美琴はソファでくつろぐ尋人の隣に座ると、彼に寄りかかる。

「……あのね、あのことが解決したら、ここに引越してきてもいい?」

 尋人は目を閉じた。口元に浮かんだ笑みは隠せなかった。

「もちろん。いつでもおいで」

 尋人に頭を撫でられ、美琴は目を閉じる。私はいつでもここに帰ってきたい。ここが私の家だって感じ始めてる。
 
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