忘却不能な恋煩い〜再会した彼は、恋焦がれた彼女を溺愛する〜
嫉妬
 会計作業が多かったことに加え、月末の申し送りなど仕事が重なり、美琴いつも以上にヘトヘトだった。更衣室のベンチに座り込むと、それ以上動けなくなる。

 尋人が会食で良かった。じゃなきゃ今日は外食がテイクアウトをお願いしていたところだ。

「今日は忙しかったね〜。こんなに遅くなるとは思わなかったよ」

 ロッカーの前に置かれたベンチに座り込んでいる美琴に対し、夏実は念入りにメイクを直しながら話しかけた。

 あれ、そういえば今日は自転車で出勤じゃなかった。着ている服もパステルピンクのシフォンのワンピースだった。

「もしかして……今日デート?」

 夏実は頬を赤らめて頷く。

「忙しくてなかなか会えなくて、今日久しぶりのデートなの」
「あっ、時間だいぶ遅くなっちゃったね。大丈夫?」
「うん、先にお店で待ってるって連絡きたから」

 夏実はカバンに荷物をしまうと、ロッカーに鍵をかける。

「慌ただしくてごめんね! また来週〜」
「うん、お疲れ様〜。楽しんで来てね」

 そう言って夏実は更衣室を後にした。そっか。夏実も恋してるんだぁ。

 待ち合わせ……その響きが少し懐かしい。彼が来るまで、そわそわしながら待つ感覚。尋人とはいきなり一緒に暮らしてるから、待ち合わせってしたことがないな。

 でも同時に違うそわそわを思い出す。彼が帰ってくるのを部屋で待って、帰ってきたら嬉しいって思うの。その後はずっと一緒にいられるし、私には今の生活の方が合っているのかもしれない。

 先に寝ててって言うけど、起きて待っていたい気持ちもある。一人のベッドは広くて、寝付けない日もあること、尋人にはまだ言ってない。

 美琴は立ち上がると、自分のロッカーを開ける。着替えを済ませて、カバンからポーチを取り出すと、軽くメイクを直す。

 どうせ今日は一人だし、どこかで食べて帰ろうかな。

 その時あのバーが頭に浮かんだ。本日のパスタと季節のカクテル。月も変わったし、きっと新しいメニューになっているに違いない。

 荷物をまとめ、病院から出ると、ダイニングバー・オードリーに向かって歩き出した。

 紗世と会って以来だから、三週間ぶりかな。あんなに足が遠のいていたお店なのに、一人で行こうとしているなんて。

 本当は三年前に初めてお店に入った時、好きだなぁって感じた。行きたい時に行ける今はすごく嬉しい。

 金曜日の夜ということもあり、人通りが多く感じる。なかなか真っ直ぐ歩けず、人と人の間を縫うように歩いて行く。

 バーが近くなってきた時だった。向かい側の道路に車が数台路駐しており、その奥の歩道に人が集まっているのが見えた。

 何気なく見ていると、その中に尋人がいることに気付く。

 仕事をしている尋人を見るのは初めてで、つい目を奪われた。

 話している相手は初老の品のある男性だった。明らかに地位の高そうな雰囲気を醸し出している。

 今度はその隣に立っていた女性が、尋人と向かい合って話し始める。尋人と同じくらいの年だろうか。

 なんか大人な空気感……。

 尋人といると、時々自分がすごく幼いような気持ちになって、気後れしてしまうことがあった。私が隣にいて釣り合うのかと、不安になったりもした。

 その女性が尋人の胸元を触り、ネクタイを直し始めた。二人の顔が近付き、笑い合う。

 美琴は胸が締め付けられる。わかってる、彼は今仕事中で、きっと仕事の話をしているのよ。

 わかってる、彼は役職に就いてるような人で、私みたいな庶民と違う。ヤキモチなんか妬いたらおかしいじゃない。

 尋人に見つからないようバーに向かって走り出すと、勢いよくネイビーの扉を開けた。

 あぁ、なんでこんなにモヤモヤするんだろう。

「いらっしゃいませ」

 美琴が顔を上げると、カウンターの中から銀髪のバーテンダーの男性が微笑んでいた。

「どうぞ」

 彼はカウンターの席を手で示す。美琴はゆっくりと席に着いた。

「何になさいますか?」
「あのっ……本日のパスタと季節のカクテルを……」
「かしこまりました」

 静かな空気に触れ、美琴の心も落ち着いていく。しばらくしてパスタが届くと、お腹が音を立てて鳴った。

「空腹の時は、気持ちも落ち込みますからね。ゆっくり召し上がってください」
「あ、ありがとうございます!」

 トマトソースの良い香りが鼻腔をくすぐる。一口食べるとホッとした。

 彼の言う通り、お腹が空いていた時にあんなものを見てしまったから落ち込んじゃったのかな。

 お腹も心も満たされると、美琴は大きく一息ついた。

「いかがでしたか?」

 バーテンダーの男性が皿を片付けながら尋ねる。

「いつもながら、とても美味しかったです。ごちそうさまでした」
「それは良かったです」

 その笑顔を見て、美琴は懐かしい感覚に陥る。記憶を辿り、ある場面にぶち当たる。

「あのっ、三年前もこちらにいましたよね」
「ええ、あなたは奥の半個室でお友達の皆さんと楽しそうにされてましたね」
「じゃあ、私のことを彼に伝えたのって……」
「私です」

 やっぱり……。美琴はそこで会話を終わらせる気になれず、意を決しバーテンダーに話しかけた。
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