三次元はお断り!~推しが隣に住んでいまして~
一刀両断だった。
「……は?」
『だから、大阪。明日朝イチの飛行機でそっち帰る予定』
「え……、困る」
いやいや。
そりゃ困るでしょうがそこで終わるなよ。
弟さんはがっくりと肩を落としている。そりゃそうだよね、何だかすごく疲れてるみたいだし、やっと解決出来ると思ったら望みが絶たれたんだもんね……。
『ホテルでも取んなさいよ、子供でもあるまいし。そしたら明日、空港から直行してあげるからさあ』
「無理。ホテルから出るとこ見られたら絶対面倒くさい。それに俺、財布持ってないから支払いできない。ホテルって大抵前払い制だし」
おっと追加情報が来たぞ。財布ないとか、余計に状況が悪化している。ていうか嫉妬深い彼女でもいるのか? 何か情報量多いな。
『は~……財布まで忘れたとか……どうやってそこまで帰って来たのよ、鈴といるってことは家の前でしょ?』
「そもそも俺財布持ち歩かない。スマホに電子マネーのアプリ入れてるから。ここまでは成瀬さんが送ってくれたから、家の前に来るまで忘れたの気付かなかったんだ」
『アンタほんっとおバカ! だから少しはお金もってなさいて言ったでしょうが!!』
「? だから、持ってるよ。チャージはこまめにしてる」
『電子じゃないわ現金だわアホが!』
シット、と勢いよくスピーカーから罵り文句が聞こえてきた。端で聞いてるこっちもハラハラする。ほんまやで、何があるか解らないんだから。大人たるものある程度の現金は持ち歩くべきやで……。
に、しても、脇で聞いてるだけで解る。弟さん、今、かなりの危機的状況とみた。
状況を整理しよう。
まず、家の鍵がない。だから家に入れない。
その上、スマホも持ってない。だから知り合いに連絡して助けて貰う事もできない。
唯一の命綱が先輩だったけど、先輩は今大阪だ。早くても明日の朝までは帰って来られない。
そして財布もないから、どこかに泊まることもできない。で、トドメにダブルワーク? してるっぽくて疲れてて、その上明日も仕事だと。
……ダメじゃん! めっちゃ詰んでるじゃん!! えっ他人事ながら心配になる、っていうか鳴先輩の弟さんだから他人事も決め込めない!
『はー……。で、どうすんの、今夜』
「だから姉ちゃんに鍵持って来て欲しかったんだよ……詰んだ」
そうだね詰んでるね。無言で頷きながら、わたしはめまぐるしくぐるぐると色んなことを考えた。
まず、関係ないんでー、とここを去って部屋に入るのはナシだ。そんな人でなしになれるか、先輩の弟さんやぞ。
さいわい、わたしの借りている部屋は角部屋で、このマンションの中でも特に広い方だった。鍵のかかる部屋も二つある。と言っても、ひとつは諸事情により使えないけど。だからまあ、場所ならどうとでもなる。
そして明日は土曜日、わたしの仕事は休みだった。出かける予定はあるけど、午後になってからの話だし。つまり時間的にも余裕がある訳で。
……と来れば、こう言うしかないではないか。
「あの、良かったら、先輩が来るまでうちに居ますか?」
―――と。
◇
いやたしかに自分で言いました。
自分から言い出しましたけどね。
「どうぞ」
「本当にすみません……、お世話になります」
まさか悠々と独り暮らししてるオタ部屋に人を、しかも男性を通すことになるなんて、朝、出勤した時点ではまったく思ってなかった訳ですよ……! 良かった祭壇作るタイプのオタクじゃなくて!
緊張してガチガチになってるわたしのうしろ、見上げたら首が直角になりそうなほど背の高い弟さんは、相変わらず申し訳なさそうに背を丸めて居心地が悪そうにしてた。
それを見てスンっとなる。
そうだよね、わたしが緊張してる場合じゃないや。この人、何だか人が良さそうだし。それがいきなり、引っ越してきて四年も滅多に顔を合わせる事もなかった隣人の家に上がり込んでお世話になるとか、絶対肩身が狭くて休まらないやつじゃない。
気を使わせたらいかん……!
「あ、どうぞ楽にして下さいね。ソファどうぞ。お茶でもいかがですか?」
「あの、本当に置いてくれるだけで充分有難いので」
「お茶ぐらいはセットですよ、セット。誰か来る、手洗い案内して座って貰う、お茶を出すまでがワンセットです」
いや本当に何言ってんだわたし。間違ってはないけど言動おかしいだろ。
これだからコミュ弱は……!
「……ふはっ」
自分で自分にギリィしていると、なんかこう、なんか……堪えきれずに噴き出しました的なあれそれが聞こえた。
笑われました。笑われましたね。
「ワンセットって、なにそれ。面白い」
「え、言いませんか?」
「言うけど……!」
ええわかります、言うけどこんな場面で言う事でもない。デスヨネーわかるわかる。でもまあ少しでもリラックスできたんなら良かったです。
キョドった甲斐があるってもんだぜ!
「とにかくワンセットなので、飲み物ぐらいは出させて下さい。何がいいですか? コーヒー紅茶ココア緑茶にほうじ茶、わりと何でもありますよ。冷たいのがいいなら、グレープフルーツジュースと牛乳ぐらいしかないですけど」
「え、無理。喫茶店か何か……? 何でそんなに飲み物揃ってるんですか」
「え? 普通じゃないですか。コーヒーとか紅茶とかお茶とかは気分で何飲むか変えるし、そもそも乾物だから保存も利くし」
「乾物……っ」
何がツボに入ったのやら、弟さんはとうとうお腹を抱えて笑い出されてしまった。いや若い人の感覚は解りませんな。
ていうか、そこまで笑うことなくない?
「決めないと勝手に出しちゃいますよ」
「ま、待って……っ。俺、俺甘いものは、苦手で……っ」
ほほう。それじゃここは、敢えてのココアか。
ヒーヒー笑うその人を横目に、キッチンへ入る。マグカップに粉を落として、ほんの少量のお湯を沸かした。
ココアパウダーをお湯で練り練りしている間に、ミルクも温める。そしてまた、練り練り練り練り。
弟さんは、まだしつこく笑ってた。なんか、イヤじゃない笑い方だった。
ていうか、何だか聞いた事がある声のような?
……と思ったけど、四年も隣に住んでたんだからそんなこともあらぁな。
顔合わせたことないけど。
いつ部屋に居るのか解らないくらい、しんとしてたけど。
「出来ましたよ。どうぞ」
仕上げにこまかいマシュマロを散らして、一人用の小さなトレイに乗せる。
そうして運ぶと、まだソファに座りもしないで笑っていた弟さんは、コートの袖でぐいと目元を拭っていた。
いやまだ脱いでなかったんかーい。ていうか泣くほど笑ったのかこの人。
「待ってって言ったのに」
「勝手に出しちゃいますよって言いましたよ?」
マグカップから漂うカカオの香りに顔を上げた弟さんは、浮かぶマシュマロを見て口元をへの字に歪めた。
なんだ、案外かわいいなこの人。
「どうぞ。あったまりますから」
いや、意地悪だけで出した訳じゃないんだよね。何時から共用廊下にいたのか解らないけど、今十二月やぞ。三十分もいれば普通に冷えるから、気温一桁だから。
そういう時にはココアだと思うんだ。内側から、身体を暖めてくれるし。どうしてもイヤだって言うなら、他の物も用意するけど。
「……頂きます」
いかにも嫌そうに顔を歪めていたのに、弟さんは、律儀にも両手をそっと合わせてからマグカップを手に取ってくれた。
そ、育ちがいい……! さすが先輩の弟さん!!
「………………」
そうして、ゆっくりとカップを口元に運んで、こくんと一口。
「……甘くない」
「……は?」
『だから、大阪。明日朝イチの飛行機でそっち帰る予定』
「え……、困る」
いやいや。
そりゃ困るでしょうがそこで終わるなよ。
弟さんはがっくりと肩を落としている。そりゃそうだよね、何だかすごく疲れてるみたいだし、やっと解決出来ると思ったら望みが絶たれたんだもんね……。
『ホテルでも取んなさいよ、子供でもあるまいし。そしたら明日、空港から直行してあげるからさあ』
「無理。ホテルから出るとこ見られたら絶対面倒くさい。それに俺、財布持ってないから支払いできない。ホテルって大抵前払い制だし」
おっと追加情報が来たぞ。財布ないとか、余計に状況が悪化している。ていうか嫉妬深い彼女でもいるのか? 何か情報量多いな。
『は~……財布まで忘れたとか……どうやってそこまで帰って来たのよ、鈴といるってことは家の前でしょ?』
「そもそも俺財布持ち歩かない。スマホに電子マネーのアプリ入れてるから。ここまでは成瀬さんが送ってくれたから、家の前に来るまで忘れたの気付かなかったんだ」
『アンタほんっとおバカ! だから少しはお金もってなさいて言ったでしょうが!!』
「? だから、持ってるよ。チャージはこまめにしてる」
『電子じゃないわ現金だわアホが!』
シット、と勢いよくスピーカーから罵り文句が聞こえてきた。端で聞いてるこっちもハラハラする。ほんまやで、何があるか解らないんだから。大人たるものある程度の現金は持ち歩くべきやで……。
に、しても、脇で聞いてるだけで解る。弟さん、今、かなりの危機的状況とみた。
状況を整理しよう。
まず、家の鍵がない。だから家に入れない。
その上、スマホも持ってない。だから知り合いに連絡して助けて貰う事もできない。
唯一の命綱が先輩だったけど、先輩は今大阪だ。早くても明日の朝までは帰って来られない。
そして財布もないから、どこかに泊まることもできない。で、トドメにダブルワーク? してるっぽくて疲れてて、その上明日も仕事だと。
……ダメじゃん! めっちゃ詰んでるじゃん!! えっ他人事ながら心配になる、っていうか鳴先輩の弟さんだから他人事も決め込めない!
『はー……。で、どうすんの、今夜』
「だから姉ちゃんに鍵持って来て欲しかったんだよ……詰んだ」
そうだね詰んでるね。無言で頷きながら、わたしはめまぐるしくぐるぐると色んなことを考えた。
まず、関係ないんでー、とここを去って部屋に入るのはナシだ。そんな人でなしになれるか、先輩の弟さんやぞ。
さいわい、わたしの借りている部屋は角部屋で、このマンションの中でも特に広い方だった。鍵のかかる部屋も二つある。と言っても、ひとつは諸事情により使えないけど。だからまあ、場所ならどうとでもなる。
そして明日は土曜日、わたしの仕事は休みだった。出かける予定はあるけど、午後になってからの話だし。つまり時間的にも余裕がある訳で。
……と来れば、こう言うしかないではないか。
「あの、良かったら、先輩が来るまでうちに居ますか?」
―――と。
◇
いやたしかに自分で言いました。
自分から言い出しましたけどね。
「どうぞ」
「本当にすみません……、お世話になります」
まさか悠々と独り暮らししてるオタ部屋に人を、しかも男性を通すことになるなんて、朝、出勤した時点ではまったく思ってなかった訳ですよ……! 良かった祭壇作るタイプのオタクじゃなくて!
緊張してガチガチになってるわたしのうしろ、見上げたら首が直角になりそうなほど背の高い弟さんは、相変わらず申し訳なさそうに背を丸めて居心地が悪そうにしてた。
それを見てスンっとなる。
そうだよね、わたしが緊張してる場合じゃないや。この人、何だか人が良さそうだし。それがいきなり、引っ越してきて四年も滅多に顔を合わせる事もなかった隣人の家に上がり込んでお世話になるとか、絶対肩身が狭くて休まらないやつじゃない。
気を使わせたらいかん……!
「あ、どうぞ楽にして下さいね。ソファどうぞ。お茶でもいかがですか?」
「あの、本当に置いてくれるだけで充分有難いので」
「お茶ぐらいはセットですよ、セット。誰か来る、手洗い案内して座って貰う、お茶を出すまでがワンセットです」
いや本当に何言ってんだわたし。間違ってはないけど言動おかしいだろ。
これだからコミュ弱は……!
「……ふはっ」
自分で自分にギリィしていると、なんかこう、なんか……堪えきれずに噴き出しました的なあれそれが聞こえた。
笑われました。笑われましたね。
「ワンセットって、なにそれ。面白い」
「え、言いませんか?」
「言うけど……!」
ええわかります、言うけどこんな場面で言う事でもない。デスヨネーわかるわかる。でもまあ少しでもリラックスできたんなら良かったです。
キョドった甲斐があるってもんだぜ!
「とにかくワンセットなので、飲み物ぐらいは出させて下さい。何がいいですか? コーヒー紅茶ココア緑茶にほうじ茶、わりと何でもありますよ。冷たいのがいいなら、グレープフルーツジュースと牛乳ぐらいしかないですけど」
「え、無理。喫茶店か何か……? 何でそんなに飲み物揃ってるんですか」
「え? 普通じゃないですか。コーヒーとか紅茶とかお茶とかは気分で何飲むか変えるし、そもそも乾物だから保存も利くし」
「乾物……っ」
何がツボに入ったのやら、弟さんはとうとうお腹を抱えて笑い出されてしまった。いや若い人の感覚は解りませんな。
ていうか、そこまで笑うことなくない?
「決めないと勝手に出しちゃいますよ」
「ま、待って……っ。俺、俺甘いものは、苦手で……っ」
ほほう。それじゃここは、敢えてのココアか。
ヒーヒー笑うその人を横目に、キッチンへ入る。マグカップに粉を落として、ほんの少量のお湯を沸かした。
ココアパウダーをお湯で練り練りしている間に、ミルクも温める。そしてまた、練り練り練り練り。
弟さんは、まだしつこく笑ってた。なんか、イヤじゃない笑い方だった。
ていうか、何だか聞いた事がある声のような?
……と思ったけど、四年も隣に住んでたんだからそんなこともあらぁな。
顔合わせたことないけど。
いつ部屋に居るのか解らないくらい、しんとしてたけど。
「出来ましたよ。どうぞ」
仕上げにこまかいマシュマロを散らして、一人用の小さなトレイに乗せる。
そうして運ぶと、まだソファに座りもしないで笑っていた弟さんは、コートの袖でぐいと目元を拭っていた。
いやまだ脱いでなかったんかーい。ていうか泣くほど笑ったのかこの人。
「待ってって言ったのに」
「勝手に出しちゃいますよって言いましたよ?」
マグカップから漂うカカオの香りに顔を上げた弟さんは、浮かぶマシュマロを見て口元をへの字に歪めた。
なんだ、案外かわいいなこの人。
「どうぞ。あったまりますから」
いや、意地悪だけで出した訳じゃないんだよね。何時から共用廊下にいたのか解らないけど、今十二月やぞ。三十分もいれば普通に冷えるから、気温一桁だから。
そういう時にはココアだと思うんだ。内側から、身体を暖めてくれるし。どうしてもイヤだって言うなら、他の物も用意するけど。
「……頂きます」
いかにも嫌そうに顔を歪めていたのに、弟さんは、律儀にも両手をそっと合わせてからマグカップを手に取ってくれた。
そ、育ちがいい……! さすが先輩の弟さん!!
「………………」
そうして、ゆっくりとカップを口元に運んで、こくんと一口。
「……甘くない」