三次元はお断り!~推しが隣に住んでいまして~
 わたしはぐっ、と拳を握り込んで決意を新たにし、お預かりした累さんのコートをハンガーにかけた。累さんの大切なコート、型崩れしたりしないように慎重に。
 預かって背を向けてから、ここまで二十秒。わたしはくるりと踵を返すと、意識して自然な笑顔を作った。

 この人はルイさんじゃなくて累さん。

 大好きな先輩の弟さん。ひょんなことで一晩、庇をお貸しすることになったけど、ほぼほぼ初対面の、立派な成人男性。ワーキャーされてる画面の向こう、ステージの上のスターさんではない。

「食べられないものとかありますか?」

 公表されているプロフィールは全部頭に入ってる。好きな食べ物はオレンジとチキン、苦手なものは甘い物と硬いヨーグルト。文字では知っている、けど。

「普通の食事では特にないよ。気にしてくれてありがとう」

 改めてお伺いする。だって知っているのは「ルイさん」のことであって、初対面の「累さん」のことじゃないから。

「解りました!」

 冷蔵庫には、普通に自炊する人間が常備しておくようなものが一通り残っていたはずだ。でも、こんな深夜にお米はやっぱりやめたほうがいいかな。体型とか食事とか、管理してる人はその辺厳しいだろうし。累さんしてなさそうだけど。

「……うん」

 キッチンへ入り、冷蔵庫とストッカーを確認する。作り置きの鶏ハム、朝ご飯用のふすまパン、野菜が諸々。常備してある瓶入りの市販トマトソース。
 すぐにメニューは決まった。

 手早く作れて暖かいもの。細かく切った色んな野菜のトマトスープと、鶏ハムのサンドイッチ。それならお腹も膨れるし、温まるし、胃にも負担が少ないはず。
 あ、卵! そうだ卵も付けよう、さっとスクランブルエッグとかにして。朝食みたいなメニューだけど栄養面もバッチリだ。

「よしっ、作ろ!」

 腕まくりをして、気合いを入れる。
 そうしてまずは材料を揃え始めたわたしを、リビングからものすごくしあわせそうな顔で累さんがじっと眺めていたことなんて、勿論、この時のわたしが気付くはずもなかった。







   ◇
……とまあ、なんやかんやありまして、作ったありあわせの料理が大袈裟な感じに絶賛されたり、食べ終わった累さんがそのまま寝落ちしてしまって推しの寝顔尊い天使かとまた気を失いかけたり、このまま自分が累さんを置いて寝室へ行っていいものかと悩んだり、同じ屋根の下に累さんがいるのにシャワー使ったりとかしていいのかていうかお化粧落として良いのかとか悩んだり、そもそも気合いの入った一張羅を脱いで部屋着に着替えて良いのかと悩んだり、つまり悩みまくってその合間に寝落ちた天使のご尊顔を拝しては顔の良さに気絶しそうになったり、まあ色々ありまして。

 一週間の仕事を終えて推しの公演見に行ったあとの疲れがぐわっと溜まりに溜まってなかったら、多分一睡も出来なかったんじゃないかと思う感じの夜が明けた訳ですよ。

 いや、もう、ホントに目の回る忙しさだった。わたしの心の機微的なサムシングが。

「はいどうぞ。先輩。あり合わせですけど」
「わー、やったー! リンの手料理とかあたしも初めてなんですけど。いっただっきまーす!」

 そして午前七時十分発の飛行機に乗った先輩が、ちょうど朝食の準備をしていたわたしのうちにやって来たのが、午前九時をちょっと過ぎたという頃合い。
 リビングのソファで、毛布を巻き付けてまだ眠っていた累さんをピンポーンと鳴り響くチャイムで起こして、それはもうパワフルにご登場と相成った訳だった。

「予定より二便早いのに飛び乗ったからさ。ホテルの朝食、食べられなかったんだよね」

 感謝してよね、と、先輩の手がバンバン累さんの背中を叩く。
 累さんは相変わらずちょっと背中を丸める感じで座ってて、叩かれるものだから一度は手に持ったコーヒーのマグをまたテーブルに戻したりしてて、それでもごめんね、ありがとう姉ちゃんなどとにこにこしていた。

 姉弟仲がすこぶる良い。こういうのっていいな。

「んん~、美味しい! 知らなかった、リンって料理上手だったんだね。うちに嫁に来ない?」

 先輩はスプーン片手に、目を輝かせながら野菜スープをぱくついてる。

「ええっ迷う。先輩のお嫁さんとか、なれるもんなら本気でなりたいです」

 ちなみに今日の朝食は、昨日のスープの残りと焼いたトマトにマッシュルーム。あと、朝のフルーツは金ってことでりんご切ってフレッシュミントとレモン絞ったのと混ぜたやつ。
 に、冷凍ほうれん草と買い置きのベーコンを手抜きホワイトソースで和えたやつにチーズをかけて焼いたバゲットトースト、みたいな感じのやつです。

 正直、わたし一人だったらこんなの作らない。面倒臭いもん。でも推しと大好きな先輩の食べるものだから、朝からかなり頑張った。
 だからお世辞でも、美味しいって言われたらすごい嬉しい。
 これにはわたしも思わずニッコリですよ。ウヘヘ、って変な笑い声をあげながら言ったわたしに、先輩の目はいっそう輝いた。

「えっまじで? じゃあ新居用意するけど。リン退職していいよ? ご飯作ってくれたら三食昼寝とお小遣い付きで養うから」
「待って。何の話してるの」

 身を乗り出した先輩を、累さんが留める。おおっ、弟さんのツッコミ初めて見たぞ。

「何って、リンの嫁入りについて」
「姉ちゃんが貰うの? 無理でしょ」

 まあ書類的には現状、無理ですね。でも事実婚ならイケるのでは。さすがに将来が怖いので退職はしませんけども。
 とか考えてると。

「いいじゃない! 充実した食事ほど忙しい毎日に必要なことはないんだから。……あれ? っていうか珍しいわねあんた」

 噛みついた先輩が、累さんの手元を覗き込んで目を丸くした。

「朝なんて滅多に食べないのに。もうそんなに食べたの、ほとんど残ってないじゃない。残した分は貰おうと狙ってたのに、何よ」

 言われて見てみると、累さんのお皿は確かにもうほとんど空になりかけてた。

 バゲットトーストは大きめのをふたつ乗せておいたのに、もう欠片もないし、スープの器も空になってる。マッシュルームとトマトがほんの少しと、デザートにするつもりだったんだろうリンゴが残るのみだ。

 ていうか。

「累さん、朝も食べないんですか?」

 昨日この人、仕事終わったあとは食べないで寝ることが多い的なこと言ってませんでしたっけ。

「あ、うん、あの。現場行く途中でゼリーインとかは買っていく、よ?」

 ジト目で睨んだわたしに、ちょっと引きながら累さんが言い訳する。
 そんなんメシちゃうわ! 補助食品って書いてあるでしょ!!

「累さん。役者さんに限らず、人間誰しも身体が資本ですよね」
「……はい」
「食べることは人生です。生きていくってことです。食べた物が身体を作って、作った身体でしか生きてくことはできないんですよ!」

 いや我ながらとんだ三段論法だと思うけど、これはわたしの信条でもあった。

 所詮、食ったもので維持した身体で生きてくしかないんだよ。脳だけ残して取り替えるとかできないんだから。
……まあこれも、小さい頃に弟を亡くしちゃった母の受け売りなんだけどさ。

 まあ、それを叩き込まれて生きてきたので、とにかくわたしは食事だけは大事にしてる。睡眠とかは、うん、その、オタクって忙しいんだよねとしか言えないんだけど。時間は有限だからさー。

 なんて思いつつフンフン鼻息荒くして見てみると、累さんはしょぼんと背中を丸めてた。
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