月の夜 雨の朝 新選組藤堂平助恋物語
3章 江戸で出会った友と島原で出逢った女

1 道場破り



 北辰一刀流という江戸で人気も実力も兼ね備えた剣の流派を一通り極めた平助が、
田舎の泥臭い剣術として小馬鹿にされてもおかしくない天然理心流道場に出入りするようになったのは
沖田に誘われたからだった。

平助はわずかに感じた土方への違和感に気を向けないようにまだ江戸にいたころに思いを巡らせた。


 ……当時、沖田は有名無名にかかわらず江戸の道場を次々回って
本人曰く『ぜひとも教えを請いたい』と称してはいたが実際は道場破りのようなことをしていた。
沖田にはまったく悪気はないらしい、ただひたすら強いため負けることが無い。
負けた道場からは道場破り扱いを受け、鬼やら要注意人物やらの認定をされるのは自然の流れだった。

 ある日、一流と謳われた玄武館もご多分に漏れず『沖田にやられたらしい』と聞いて耳を疑う。
平助はまだ幼少のころから玄武館で剣の手ほどきを受け中目録まで得た。今は伊東道場という別の道場の師範代を務めているがそれも玄武館からの紹介あってのことだった。

『天然理心流の鬼・沖田』の噂を聞くまでは存在くらいしか知らなかった天然理心流。
洗練された北辰一刀流と比べるのも愚だ。
当然沖田のことも所詮は泥臭い剣術屋だろ? と平助も小馬鹿にしていたが
玄武館でさえ負けたと聞いてからは沖田の剣を見てみたい、そう思い始めた。

 その機会はそんなに先まで待つ必要はなかった。
ほどなくしてついに沖田が伊東道場にやってきたのだ。
「すみませーん、試衛館から参りました沖田総司と申します。どなたか稽古のお相手願えませんでしょうか」

 相談の上、伊東道場で一番年少だった平助が玄関で応対することになり出ていくと
にこにこと式台の前で案内を乞うている沖田の様子に少しがっかりする。

 なんだ……ずいぶんひょろっとしたやつだな。本当に鬼と噂された沖田なのか?
態度には出さないようにして丁寧に答える。
「あいにくではございますが当道場の主(あるじ)は他出しております。本来でしたら道場に上がっていただくわけにもいかないところではございますが、このままお帰り頂くのも、忍びなく存じます。私は師範代を務める藤堂と申します。手前どもでよろしければお相手を務めますがいかがでしょう? 」

 平助は式台に正座をしていたので玄関に立ったままの沖田を見上げる形となってしまったが
挑戦的な目で油断なく沖田を観察する。

なんでそんなにずっと笑顔でいる? ……気を抜いて立ってるように見えるが隙は無いな。

 今、不意打ちで斬りかかってみたら……?

いかがでしょう、などともったいつけてみたが内心手合わせしてみたくてたまらない。

「それはありがたい、よろしくお願いします 」沖田は軽く頭を下げた。
「ではこちらに…… 」そう言って平助が先に歩く間も沖田はきょろきょろしながら、有名な道場はやっぱり立派ですねぇ、などとずっとしゃべりつづけている。
沖田があまりにも無駄口が過ぎるので道場の入り口の前でくぎを刺す。
「沖田さん、ここから先は神聖な道場です。おしゃべりは謹んでいただけませんか」
声に剣を含ませたつもりだったが沖田はまったく気にも留めず笑顔のまま
「……真面目だってよく言われませんか? 」

……図…星だ。
 
  真面目どころか生真面目がすぎてつまらないとさえ言われたことだってある。
そんなことはどうでもいい。剣の腕とは何の関係もない。普段は気になどしていない。
でも初対面の沖田に指摘を受けるのは気に入らない。
 少しいらだつ気持ちになり道場に入るとすぐ、防具の準備をするように沖田に促す。

「どうしようかな? つけなくても大丈夫です」といって沖田がまた笑顔になった。

 玄関からここまでくる間に俺がしていたように、沖田も俺の剣の腕を値踏みしたことだろう。

なるほど、自信たっぷりということか……

 安く見られたな……とうとう我慢の限界がきて舌打ちをしてしまう。
とっとと打ち負かしてやる、だから早く帰ってほしい。
きっと他の道場でも沖田の長いおしゃべりに調子を狂わされたんだ。

 そうに決まってる……

「お好きなように……」竹刀を持つと小さく答え沖田と向き合い礼を取る。
自分だけ防具をつけると試合の前にすでに沖田に負けた気がするのでやめておく。

お互い礼を取り顔を上げる。

 沖田の周りの空気がわずかばかり変わった……?

それでいて沖田はまだ剣を構えるでもなく笑顔でいる。

 なんなんだ、へんなやつ……

 沖田を誘うように竹刀を正面に中段に構え剣先を小刻みに揺らす。簡単なようでいて単調な動きであれば相手に初動を読まれるし大きく動かすと自分の隙をつくってしまう。攻め込むのか間合いをとりたいのか、相手に思案させるのが狙いの北辰一刀流の技のひとつ。

 隙が無いな……沖田は誘いに乗る気も無いようだ。こちらが焦れて攻めに入った時に動くつもりなんだろう。どうする?

 平助は構えた竹刀を一旦戻す。そのまますぐに姿勢を低くしすばやい足さばきで間合いを詰めながら
居合の要領で抜き打ちに沖田の胴を流れるように払いに行った。
ここまでの動作に三秒とかからなかったはず。もしこれを外されたら勝機は沖田に持っていかれる、そう思って放った渾身の一撃。
 
 沖田が身体をわずばかばかり引いたように見えた瞬間、強い衝撃を受けて床に叩きつけられ
背中を強かに打ち付けてしまう。
 
 何が起こったか一瞬わからない。
喉の痛みにせき込みながらそっと目を開けると喉元に竹刀がつきつけられている。

……突きを入れられたか

 
「あーあ、大丈夫ですか」平助の喉元に竹刀をつきつけたまま沖田が少しかがんで覗き込む。
「私の突きは避けられなくても当然なんで。 恥ずかしく思わなくていいですからね」そう言って笑顔になる。
「は? 」
なんとか体を起こすと、沖田の物言いに言い返そうとするが声が出ない。

「くっ……」よろけるように立ち上がる。喉の奥から口内に錆のような味が広がり気持ち悪くなり
俺は手のひらに唾を吐く。
血が混じっているのを見て『負けた』という思いがこみ上げ、立ち上がったものの再び膝をついた。

負けた……しかもこんな簡単に。

悔しいなどと言う言葉では言い表せない。

道場主の伊東先生は留守にしていて俺の無残な負けざまを見られはしなかったが、恥をかかせてしまった。

  呆然と固まってしまった俺のことが心配にでもなったのか沖田もしゃがんで目線を合わせて
「ちょっとぉ、藤堂さんでしたっけ? ほんとに大丈夫ですか? 死んだりしませんよね?
そんなに本気出してませんけどねぇ……そうだな、 今から土方さんの薬をもらいに行きませんか? 」
「あの、意味がわかりませんが? 」やっと少し声が出た。
「だから怪我なんかすぐ治っちゃうんですよ、石田散薬ってのを飲めば。
さあ立てますよね? 行きましょう 」

 わけのわからないまま沖田に急き立てられる。こっそり成り行きを見ていた道場の仲間たちがぞろぞろ出てきて沖田を取り囲む。
平助が沖田に拉致されれば道場の恥の上塗りになると、さすがに見過ごすわけにはいかなくなったのだろう。
「あれ? 藤堂さん以外全員お留守かと思ったけど、皆さんいらっしゃたのですね?
ちょっと藤堂さんをお借りします! 」と言うと皆が気色ばむのを、ちょっと通してくださいね等と冗談ぽいが有無を言わせぬ口調で押し切り俺を連れ出した。

 逆らうとその場がますますややこしいことになりそうで黙って従う。沖田への暴言は心の中にとどめておく。
そんなこととは知らない沖田はひたすら自分が住み込んでいる試衛館がどれだけ素晴らしいか、
“石田なんとか”という、いんちきくさい薬がいかに効くかについて語っている。

 そんなにすごい薬なら自分で行商でもやればいいだろ?……

「ところで藤堂さんの下の名前って? 」
「……平助ですけど 」
「平助さんか、よろしく 」
「私の下の名前なんかに興味あったんですか? 」
「だって今日から友ですから……実は道場の皆さんが隠れて見てるの気づいてましたよ。
誰が私の相手でも結果は同じなのに平助さん一人だけ責任負わされるのも気の毒なんで、それで連れ出したってわけです。」

沖田の言葉に突きを食らった時と同じくらいの衝撃を受けてうつむいたまま喉の痛みをこらえて歩く。
友だって? ……あっさり負けて立場の悪くなった俺を気遣ったってことか?
大きなお世話だ……


「誤解しないでほしいが、伊東先生は今日は本当に不在だったんです。居留守など卑怯な手は使ってはおりません……他の方も関係ありません。あなたに負けた私が弱かっただけのことです 」
一応、それだけは伝えておく。

「なるほど……平助さんは伊東先生のこと好きですか? 」

少し考える……好きとか嫌いだとか考えたこともない。同じ流派で格上の伊東先生に対して敬意を持つのは当然でこうして道場の師範代の職も得て世話にもなっている。
好き嫌いの話ではない。
『先生に何かあれば一番に駆け付けなければ……』それが当たり前なのだ。

しゃべり疲れたのか、やっと静かになった沖田と黙々としばらく歩くと試衛館についたらしい。

「ここ……ですか? 」
沖田を見るとうんとうなづき「さ、上がってください 」

 沖田はここを道場だというが噂に聞く以上のおんぼろで玄武館はおろか伊東道場にも及ばない。
浅草の見世物市で出る妖屋敷と言ったほうがぴったりくる。
「誰も取って食ったりしませんから安心して」
沖田に背中を押され道場に足を踏み入れた。
もちろん式台もなく入ってすぐ板敷の間がありそこがもう道場らしい。
壁には竹刀の代わりに太い丸太のような木刀がかけられている。

「土方さん、石田散薬のお客様ですよぉ 」

「たっくよぉ、総司。おまえ、そういうのやめろって何度言わせるんだ 」
板敷の間に車座になって座っている男たちの中から一人めんどくさそうにこっちへやってきた。
「総司がいろいろすまねぇな、お兄さんよ。まあ、俺の薬飲んどきゃまちがいねえよ」
言いながら薬箱から怪しげな包みを出してきた。この人が沖田に道中さんざん聞かされた土方か……

「……どうも 」
あまり気が進まないので薬は受け取ったがすぐに飲まずに袖にしまった。

 薬を受け取ったんだからもう帰ってもいいだろうと思い立ち上がった時、
『藤堂君じゃないか! 』 知ってる声に呼び止められ驚いて車座の輪を見た。
「山南さん! どうしてここに? 」
北辰一刀流の同門で先輩にあたる山南さんが座ってる。

どうしてこんなとこに山南さんが……?

 喉にあざを作り声をからしてる平助に同情するように山南が優しく声をかける。
平助は初めてほっと息をついた。
「驚くのも無理はないね。実はここの若先生と縁あって親しくさせていただくようになってね。
すっかり試衛館が気に入ってしまってこうやって食客としてお世話になってるんだよ 」
「……そうなんですか」苦笑いするとそっと平助にだけ耳打ちするように
「実はね、私も最初はいろいろ驚いたんだよ。 きみのようにね 」
そう言ってほほ笑むと平助の肩を軽く叩き
「もうそろそろ夕餉の時間だ、一緒に食べていかないか。積もる話もあるし。さあ座った、座った 」
山南にそこまで言われると断るわけにもいかず浮かした腰をまた落とす。

 着物の前を腹まではだけさせた背の高い男が酒の入った徳利と湯飲み茶椀を平助の前に置き、酒をなみなみと注ぐ。ちらっと腹に一文字の切り傷が見えた。
「そう来なくちゃな、酒は好きかい? 俺は原田左之助。よろしくやろうぜ。まあ、むさくるしいところだけど気楽にやんな 」
「おいおい。左之助、むさくるしいの筆頭のお前が言うなよ。 だいたい近藤さんに失礼だろ 」
それを聞いて「違いない」などと他のみんなも大笑いしている。

土方が原田をたしなめた男に声をかける。
「新八、左之助に礼儀を教えておけって何度も言っただろう 」

 新八と呼ばれた男を山南が手招きして平助を紹介する。
「申し遅れました、藤堂平助です 」
「この永倉君は神道無念流の遣い手で試衛館であの沖田君に勝てるのは永倉君くらいだろうって言われてる。私も稽古のたびに刺激を受けているよ」
「平助君とやら?びびらなくていいよ。俺は総司と違って優しく手合わせするから」永倉がニッと笑う。
 
あの鬼沖田と同等か、もしかしたらより強いかもしれない人がいる試衛館、見た目同様やはり妖怪屋敷なんでは……自然に笑みが出た。
それなりに自分の剣に自信があったがもっともっと強くなりたい。ここでならそれが叶う気がする。

  その時がらっと音を立ててふすまが開くと鍋を持った男が入ってきた。
「できたぞ、近藤家特製のたまごふわふわだっ!」四角い将棋の駒のような顔が大きい口をあけて笑う。

「藤堂君もいただくといい……」箸を取るといそいそと山南が近藤の持ってきた料理を皿に取り分けて皆に配っている。
近藤は初対面の平助にも当然のように「新顔さんも遠慮せずに。美味いぞ! 」などとお代わりを勧めてくれる。

 ここは本当に道場なのか……俺の知っている道場は神様のような道場主を中心に規律正しく礼儀正しくというものだったが、ここはまるで違う。
試衛館の人たちは礼儀知らずで馴れ馴れしい……そんな風に感じていた気持ちはいつの間にかなくなっていた。そして今まで会った人たちより強い。憧れにも似た気持ちがわいてくる。

 普段はあまり飲まないが楽しくて、つい酒も進む。
悪酔いしそうな安酒に心地よく酔いながら意識が途切れる瞬間に、決めていた。

俺も山南さんみたいにここで……


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