月の夜 雨の朝 新選組藤堂平助恋物語

2 試衛館の妖怪


 翌日、伊東道場に戻ると今更のこのこ戻ってきやがってという皆の冷たい視線に突き刺されながら
平助は伊東に頭を下げ試衛館へ修行に出たいということを願い出た。
 
 伊東先生は何を思ったんだろう、あっさり認めてくれた。
道場破りに簡単に負けて道場に泥を塗ったうえ その道場破りと一緒に
出て行ってしまった俺に愛想をつかしたのかもしれない……

「今まで過分なご厚意を賜りましたのに本当に申し訳ございません 」深々と畳に頭をつける。
「顔を上げなさい、きみが試衛館に行くことでうちの道場にもまた流派を超えた新しい風も吹こうというものだ。
昨今の不安な情勢で今後のことも見据えていろんな手を打つのも悪くはない。だからそんなにかしこまらずに、あちらで励んできなさい」
「もったいないお言葉です……伊東先生のご恩は一生忘れません。必ずいつかお返しします。」
「それは楽しみだね。行ってきなさい」

 平助が感謝の言葉を尽くして出ていくと伊東の門弟の服部が不満そうに
「先生は藤堂にあまいようですな……」
「そう見えますか? 服部君、『捨てた』ものに価値があったとわかっても
拾った人に返せとは言えないが
『貸した』だけならあとで何倍にもして返してもらうこともできるとは思わないか……」



 伊東先生に愛想つかしをされたわけではないのだと知って安堵した。身勝手な俺の言い分を快く許してくれた先生のために将来尽くそう、そう心に決める。
少ない荷物をまとめるとその日のうちに試衛館に向かった。試衛館での稽古に心が浮き立つようで足取りも早くなる。

 
こうして平助が試衛館に食客として住み込むようになってから一年が過ぎた。

 試衛館の雰囲気にもすっかり慣れ、天然理心流の荒稽古にもくらいつき日野方面の出稽古も任されるようになっていた。
あれから沖田とは手合わせしていない。時々永倉と木刀で稽古した時にしこたま打ち込まれて床に伸びているとまだまだ沖田には勝てないなと自嘲しているだけだ。

 私生活も変った。稽古に今まで以上に励む反面、真面目が着物を着ているとからかわれてばかりいたころとは打って変わって遊びにも精を出す。
だいたいは永倉や原田と一緒に騒ぎ酔いつぶれても 翌朝には誰より早く起き井戸で水を浴びるとすぐ
道場で汗を流す。
そしてまた夜 稽古を終えるとその高揚感のまま永倉たちと騒ぐ。
酒と女で騒ぐだけではない、短気な原田に巻き込まれての喧嘩騒動や攘夷志士を気どって流行りの異人斬りをしようぜという話になり横浜まで行こうとした時は、目に余ったのか近藤に呼び出され『平助、やんちゃが過ぎる。改めないなら伊東道場に返す』と長々と説教まで受けた。
説教が終わり廊下へ出ると沖田がにやにやしている。
「ほんっと、平助さんって真面目だな。悪いことも近藤先生に怒られるくらい全力でやるんですね。
まったく手を抜かないんだから……」
 
 
 ほどなくして、平助だけでなく試衛館の面々の運命を大きく変える日が訪れた。
『幕府が京へ上る将軍の警護をする者を募集する』という話を顔の広い山南と永倉が持ってきたのだ。
みんなが興奮し京で一旗揚げようと盛り上がっているのを後目に平助の顔は暗い……

みんな、京へ行ってしまうんだな……
なんとなくその場の雰囲気に流され自分も京へ行くと答えてしまったが本当に京に行くのか? 行けるのか? と自分で自分に問いかけるも答えはすっきりしない。

このまま行ってしまってもいいのか……

京へ行く話が出て以来、連夜のように遊び歩いていたのが嘘だったかのように夜の稽古の後も一人で試衛館の縁側で物思いにふけることが多くなっていた。

今夜は雨か。 月が見えない、答えが……見えない

俺は試衛館の門弟でもないし、新八さんや左之助さんみたいな古株でもないし。
京へ行くなら当然伊東道場にも許可をもらう必要もある、もし伊東先生も京へ行くつもりだったなら?

そちらと合流して京へ行くのが筋のはずだ……

 試衛館に来てからの厳しい稽古や永倉や原田としでかしたやんちゃ遊びや未遂に終わった攘夷斬りの真似事、それを本気で叱る父親のような近藤先生。
 
……俺は父親に叱られたことが無い

 実を言うと父親の顔すら知らない……なんでも、いいところの妾の子、らしい。
腰に差している刀は皆が驚く上総介兼重という上物で拵えも大身の家柄のものが持つようなもので 
この刀を見ている時だけ唯一、自分は身分の高い父親の息子だったのだなと思い出す。
母親は花屋で生計を立てて俺を育ててくれた。学問や武芸には惜しみなく通わせてくれていたのは
いつ迎えがきてもいいようにという思いもあったんだろう。
結局、迎えどころか父には会ったことさえない。 
花屋の稼ぎがどのくらいのものか知らないが俺の稽古代に困る様子がなかったことを思えば金銭的には
援助があったのかもしれない。 
おかげで好きな剣術に打ち込めているのだから顔も知らない父親に不満などあろうはずもない……
事情を知らない試衛館の人たちは、
藤堂という由緒正し気な雰囲気の名前を『ご落胤様』などとからかうこともあった。黙って笑うだけで受け流したが、羽目を外すような遊び方を始めたのもご落胤と言われるのがいやっだせいもあるかもしれない。

温厚で理路整然とした話し方をする伊東先生とは違い、いつも豪快で熱い口調の近藤先生のことが
どんなに厳しく叱られたとしても嫌いではない、むしろ好きだ。

 そういえば沖田さんが言っていた……伊東先生のことが好きか? と。
師のことは好き嫌いで判断するものではない、とその時思ったのに近藤先生のことは好きだと思っている。
いろいろ矛盾してるな……肩をすくめた。


「すごい雨だな……」突然声を掛けられ平助の思考が途切れる。
隣、いいか?というように土方が平助の顔を見て横に腰を下ろした。

珍しいな、と思う。土方はあまり話しかけてこない。今日はどういう風の吹き回しなのか……

「どうしたんです? こんな夜半に……」
「……別に 」
「ああ、わかりました。 沖田さんと間違えたんですよね? 」
「そんなところだ 」

なんだ、自分に用があったのではないんだな……なんとんく物寂しい気持ちになり苦笑する。
「正直ですね、土方さんは 」
「まあ、おまえでも用は足りる 」

「私が? どういうことですか 」
「京へ行く話だよ……みんなが浮かれて大騒ぎしてやがる。もちろんこんな機会めったにあるもんじゃない。
俺だって飛び上がりたいくらいだ 」

 うれしくて飛び上がる土方を想像して思わず笑ってしまう。
「土方さんが? 冗談はやめてくださいよ、雨がやまなくなります 」
「……なのに、お前ひとりだけが浮かない顔してる」
「! ……心配してくれてたんですか。ありがとうございます 」
「ふん、馬鹿じゃねえのか……一人だけそんな暗い顔していたらみんなの士気に関わるだろうが。
平助、お前がここに出入りするようになって一年くらいになるか 」
言葉を切った土方が雨を見ながら口を開く
「……一句詠めたぜ。霧雨も驟雨(しゅうう・激しい雨)も降ってしまえば同じ水 」
「え? それって……」
沖田からひどい句作について聞いてはいたがここまでとは。予想の上を行く土方の句作の下手さに
笑いが止まらない。

「笑うなよ。つまりだな、何が言いたいかっていうと。
平助、試衛館に来てから新八や左之助と一緒に無茶な遊び方してるようだが。
無理に悪ぶろうとするな、お前はお前。
新八や左之助もお前のことが好きなんだよ 」
「え……ええ 」何が言いたいのかわからず目をそらす。

説教なら近藤先生からたびたびされたし、最近は遊びにも出てないというのに……

「お前が無茶な遊びをやめて昔の品行方正なお前に戻ったところで試衛館の連中は誰もお前にがっかりなんかしない。平助は平助だ。だがな、お前が京へ行かなきゃみんながっかりするだろうってことだ 」

「ああ……」
なんだ、それが言いたかったのか。 やっと得心がいく。
わざわざ下手な句作までして京へ行こうと誘ってくれたんだ……

答えが見えた。

「行きますよ、みんなと一緒に京へ行かせてください。 それと……土方さんもせっかくの句作を沖田さんに笑われてばかりではがっかりでしょ? 私は土方さんがどんな句を詠んでも笑ったりなんかしませんから。一緒に京へ行かせてください 」
「馬鹿か……お前さっき笑ったじゃないか。 じゃ俺はそろそろ寝るぜ。お前も早く寝ろよ 」
「はい、おやすみなさい 」

試衛館の皆と過ごす日々、自分はまだ受け入れてもらえてないと線引きしていたのは自分だったのかもしれない。そんな気持ちが無理にバカ騒ぎをしてみる事だったりしたのか……
新八さんも左之助さんも、バカ騒ぎをやめてもきっと何も変わらない。刺激的ではあったがどこかで無理していたのも土方さんは気づいてたのか。

土方さんの言葉のほうが石田散薬よりよほど効きますよって、いつか教えてあげないと…… 


平助は京への旅立ちに心を弾ませた。

 そして文久三年二月 京へついてすぐ将軍警護のために集まった浪士隊は発起人の清川八郎の裏切りで
すぐに江戸へと戻ることになる。京へ残った試衛館一派と芹沢一派は芹沢の尽力でなんとか会津藩の庇護のもとに不逞な浪士を取り締まるという仕事を得ることができた。
だが、破天荒で酒癖の悪い芹沢の暴挙に悩まされることになる。
土方の命でいつも芹沢の行く先々へとついていき狼藉するのを阻止するという任務が平助に課された。

 あの雨の日に島原で名都に出会ったのはそんな任務のときのことだったのだ……


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