偽装夫婦のはずが、ホテル御曹司は溺愛の手を緩めない

 確かに、たまに見ず知らずの人、またはこちらが一方的に知っている有名人に挨拶をする状況に遭遇することはある。

 だがワンルームから広すぎる部屋に引っ越したにも関わらず、響一は家賃や光熱費等は一切受け取ってくれないし負担もさせてくれない。金銭的にはむしろ余裕が出来たぐらいだ。

 その分家事が負担になっているかと言えばそうでもなく、家事代行サービスに頼りっぱなしで、あかりは家ではほとんど何もしていない。

 さらに個別の部屋も与えられているので、プライベートもしっかりと保たれている。必要以上に干渉されることもないので、休日は友人や職場の人と出掛けるのも自由だ。

「兄さんが楽しそうで嬉しいよ」
「え……? 楽しそう……ですか?」
「うん」

 サイドテーブルに置いたアロマディフューザーからベルガモットとクラリセージの蒸気が香る。その爽やかな空気の中に、奏一の安堵の吐息が混ざった。

 けれど奏一の台詞を疑問に思う。あかりには響一が日々を楽しく過ごしているようには見えない。不機嫌だったり不満があるようにも見えないが、あかりと結婚したことで彼に何らかの好影響を与えているようにはまったく思えない。

 それはそうだろう。あかりと響一は対外的には恋愛結婚だが、実際はただの契約結婚だ。

 身体を求められれば応じることもあるが、二人の間にあるのは愛情ではない。ただ利害が一致しているというだけの、乾いた契約関係のみ――のはず。

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