白いシャツの少年 【恋に焦がれて鳴く蝉よりも・番外編】
 突然、目を逸らしていた千沙の視界
に侑久の肩が映り込んだ。かと思うと、
ふわりと重力を失った身体が宙に浮く。

 「!!!!」

 それはほんの一瞬のことで、千沙は
息を飲んだまま声を上げる間もなかった。
 気付けば間近に侑久の顔がある。抱き
上げられたのだと、そう理解した瞬間に
彼はもう歩き出していた。

 「なっっ!!なにしてっ……!?」

 「動かないで。落としちゃうから」

 動揺から、悲鳴に近い声でそう言った
千沙に、間髪を入れず侑久が忠告する。
 
 スタスタと、自分をお姫様抱っこしな
がら昇降口を出た侑久が向かっているの
は駐輪場なのだと、見えてきたアルミ製
のフラット屋根でわかった。千沙は背中
に侑久の腕の硬さを感じながらも、本当
に落ちてしまわないように彼の首に腕を
回し、しがみついた。

 あまりにも、侑久の匂いと温もりが近
くにある。心臓は胸を突き破って、出て
きてしまいそうなほどに強く鳴っていた。

 やがて、1台の自転車が残っている駐
輪場に辿り着くと、侑久はそっと千沙を
おろしてくれた。

 極度の緊張とわけのわからない動悸
から解放され、ほぅと息をつく。侑久
は涼しい顔をして、ポケットから鍵を
取り出している。暗闇の中、廊下の窓
から漏れる灯りに照らされた端正な
横顔を睨みながら、千沙は不平を口
にした。

 「こんなことして、誰かに見られたら
どうするつもりだ!」

 “こんなこと”、というのはもちろん、
お姫様抱っこの方だ。

 「もう誰もいないよ。周囲に誰もいない
から、抱っこしたに決まってるでしょう。
あんな所で押し問答やってる間に帰った方
が早いって」

 千沙はあんなにドキドキしたというのに、
侑久はどうってことないような顔をして、
二つの鞄をカゴに突っ込んでいる。その
ことが何だか面白くなくて、千沙は口を
尖らした。

 「だから、私はタクシーで帰ると言って
るだろう」

 そう言い放つと、少しだけ眉を吊り上げ、
侑久は千沙を向いた。

 「そうやって強がってばかりで誰にも
甘えられないところ、昔から変わらない
よね。自意識を押し殺してまで倫理を
貫いてしまう不器用さも、ちぃ姉らしく
て俺は好きだけどさ。でも、そうとわか
っていながらこのまま放っておけるほど
俺は冷たい人間じゃないし、俺たちの
付き合いだって浅くはないんだ。だから、
辛いときくらい素直に甘えてよ。教師と
してじゃなくて幼馴染みとして俺を頼る
なら、何も問題ないでしょう?」

 いかにも彼らしい整然とした言葉で
千沙に反駁(はんばく)する。一瞬、「好き」と
いう単語が聞こえた気がしたが……
それはきっと人間的に好きだという
意味なのだろう。

 うっかり勘違いしないように自分に
そう言い聞かせると、千沙はもう反論
するでもなく、こくりと頷いた。
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