好きになったのが神様だった場合
長身の天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)の首に腕を回し、背伸びをして明香里からキスをした。その腰を天之御中主神が支え、しばしキスに没頭する。

音を立てて名残惜しそうに離れる、唇の先を当てたまま、明香里は告げる。

「──またね」
「ああ」

明香里のぬくもりから離れがたい天之御中主神は、明香里の額にキスをする。明香里も天之御中主神の頬にキスをして離れた。

何度も振り返りながら明香里は歩み去る、その後を白狐が追いかけていくのを見送ってから、天之御中主神は空を見上げた。

「さて、帰るとするか」

神殿にある依代の姿を思い出す、ただの木の切れ端だが、それが天之御中主神の拠り所だ。
それまでは「戻ろう」と思わなくても、勝手に戻っていた。自分は不安定な存在だから、依代から離れられないのだろうと解釈していた。
だが、どうだろう?
今は戻る気配がない、無理矢理「戻ろう」と念じても景色が変わることがなかった。

「──はて?」

両腕を開き袂を広げてみたが、着物も腕も、透けてはこない。まだその時間ではないだけか?


***


翌朝だった。

拝殿にやってきた禰宜の泰道は、戸を開けすぐにその存在に気付いた。

「うわああああ!」

悲鳴は近所にまで響き渡る、当然社務所にいる健斗と紹子(しょうこ)にも。

「まあ、なあに?」
「例の獣でも見つけたのかも」

ふたり揃って拝殿へ向かうと、廊下から腰を抜かしている泰道が見えた。

「お父さん、どうしました?」

健斗が声を掛ける。

「ど、泥棒だ! 警察に連絡を……!」

一点を見つめたまま、声を震わせつつも張り上げた。

「泥棒? にしてはお父さん、随分のんびりと……」

目の前にその泥棒が居て視線を外すまいとしているのだろうと判ったが、鉢合わせた泥棒がいつまでもその場に留まるのは妙な話だ。居直り強盗ならば、発見者をどうにかしていてもおかしくないとは思うのだが──。
母に電話するように伝え、健斗は拝殿に足を踏み入れた。
父が見ろと言わんばかりに指を指す、そうされなくても見るつもりだった、いや、見なくても見えた、厨子の前の机に腰掛けた男が。

「──君は」

見覚えのある男に、健斗は目を据らせた。

「よお、権禰宜。お前にも俺が見えるのか」

天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は自身の膝に頬杖をつきながら、傲岸不遜な物言いで言った。

「見えるもなにも」

健斗自身は二度目の遭遇だ、明香里の恋人だと覚えている、服装だって違わないのだ。

「さあて、これは一体、何が起きているのやら」

天之御中主神は楽しそうに顎を擦り、にやにやと笑いながら言った。

「随分と大胆ですね。拝殿に鍵はかかっていないとは言え、堂々と厨子にまで侵入されては出るところに出ないとなりません」

健斗は静かに言った。

「ここは俺の居場所だ、そこに居て何が悪い」
「居場所? 何を言っているんです?」
「俺は天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)。ここの本尊だ」
「──天之御中主神……?……下手な嘘は……」

そこへ、母の紹子が戻ってきた、禿頭の男を連れて。

「……おじいちゃん」

健斗が言う。

「お、お父さん!」

泰道は腰を抜かしたままそちらへ行こうとする。
ジャージ姿の老人──健斗の祖父であり、泰道の父であり、この水天宮の宮司である美園成恭(なりやす)は、天之御中主神を見つけてにこりと微笑んだ。

「──ああ、やはりあなた様でしたか。天之御中主神さま」

深々と最敬礼をした。

「……は?」

健斗は開いた口が塞がらない。

「えええええ!?」

父は知っているのかと泰道はとびきり驚いた。

「紹子さんが大慌てで電話をしようとしているから何事かと聞いたら、泥棒だと言うから、こんな貧乏神社に賊など来るものかと、よもやと思って来てみれば」
「貧乏なことはないっ」

氏子は多く、きちんと運営されている神社だ。

「でも、なんでお父さんは知ってるんだ!?」
「なんだ、お前は見たことがないのか。信心の違いか、などとは言わんが、俺も随分子供の頃に見たきりだ。何度かそのお姿を拝見しておる、本殿から拝殿に行かれる際に見せてくださった、その美しく神々しいまでのイケメンぶりに見惚れてしまったのを覚えている」

そんな褒め言葉に、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)はご満悦だ。

「うんうん、それは信心深さゆえに見えたのだろう」

天之御中主神の言葉が面白くないのは、泰道と健斗だ。

「──済みませんね、信心がなくて」

反省した様子もなく言う健斗に、天之御中主神は鼻白む。

「貴様の事などお見通しだ、助平め。お前が唱える祈祷など右から左だな」

言われてさすがに健斗の眉間に皴が寄る。

「そ、そそそそ、その天之御中主神さま、なぜお姿を!? なにかご不満でも!?」

泰道は恐ろしいものでも見たかのように、額を床に擦りつけ、ひれ伏したまま言う。

「不満? まあ、不満はごまんとあるが」

ふと視線を外して、天之御中主神は考えた。一番の不満は顕現できぬことだったが、いざ顕現してしまうと、何をどうしてよいのか判らないものだと思った。そもそもどのようにして顕現できたかも判らない。

「まあともあれ……明香里に早く逢いたいなあ……」

頬杖をついたまま呟く。

「ところで」

天之御中主神の声は聞こえていなかったらしい健斗は、不機嫌な顔をしたまま声を出した。

「何度か社の中が乱れたのは、あなたのせいですね」
「これ、健斗、ご本尊に向かってせいなどと」

泰道が慌てて言うが、天之御中主神はふん、と鼻を鳴らして返事をした。

「いかにも」
「俺のせいにされましてね、謝ってください」
「おお、済まなかった」

軽く、簡単な謝罪に、健斗の眉間の皴はますます深くなる。

「姿の見えない獣も、あなたの眷属で?」

白狐の事だ。

「ああ、俺の神使だ」
「──神使」

四人は、きょとんとした。

「どれ、ひとつ呼び寄せてみるか」

その声なき声は、きちんと白狐の耳に届いた。
明香里のベッドの上で大の字に眠りこけていた狐は、ぱっと身を翻して起き上がる。

「天之御中主神さま! ……って、あれ?」

すぐ傍で呼ばれたような気がした、辺りを見回してきちんと明香里の部屋であることを確認する。

「……はて?」

不思議に思いながらも、狐は声の持ち主であり、本来の主の元へはせ参じる。





果たして水天宮へ戻った狐は、確認もせずに拝殿の戸を開けてしまう。

「天之御中主神さま、お呼びで……でええええ!?」
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