好きになったのが神様だった場合
神主一家の揃い踏みに、狐は慌てて踵を返そうとする。

「よいよい、狐。こやつらにも俺は見えている」
「はいぃぃぃぃ!? 何が起こっておるのです!?」

威勢のいい狐に、泰道や紹子は目を白黒させていた。

「神使……狐……白い狐……」

泰道は茫然と呟き続ける。

「やあ、狐くん、やっときちんと挨拶ができるね」

言葉は優しいが、仕草は乱暴だった。いきなり首根っこを掴むと、そのまま持ち上げる。

「やめぬか! わたくしめを誰だと……!」
「当水天宮のご祭神、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)さまのお使いだと聞きました」
「うぬ、まさしく」

反論もなく、狐は四肢の力を抜いてだらりと健斗の手から垂れ下がった。

「何度かお姿を見かけましたが、あなたですね?」
「おそらくは」
「明香里さんのお宅に居るのも?」
「ええ、間違いなく」

元々尖った口を、更にとがらせて狐は言う。

「……しゃべってる」

嫁に来ただけの紹子は驚く、宮司の成恭は大きな声で笑っっていた。


***


そしてその日の夕方。

明香里は待ち合わせ場所である、一ノ鳥居跡へ向かっていた。
家に帰ったら白狐がいなかった、探しても呼んでもいないので探すのは諦めてひとり、水天宮へ向かう事にしたのだ。
やがて見えた待ち合わせのその場所に、ワクワクした様子で立っている天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)を見つけて思わず足を止める。

「──あれ? 幻覚?」

しかし、天之御中主神はせかすように手を振っていた、間違いなく明香里を見ている。

「──え、なんで……」

止めた足を動かして前に進んだ、一歩、二歩と歩みが進む度にスピードが上がる、やがて小走りになっていた。

「明香里!」

天之御中主神の声が鼓膜を揺さぶる。

天之(あめの)くん!」

叫び、突進する勢いで抱き付いていた。
幻覚ではなかった。その体をしっかり抱き締めることが出来た。いつもと変わらぬひんやりとした肌だ。

「明香里」

耳に直接注がれる声に震えた、冷えた手が背中を抱き締め、天之御中主神が現実にそこにいるとはっきりと理解できた。

天之(あめの)くん……どうして……!」
「わからん、どうして現れたかも、依代への戻り方も」

数秒抱き締め合ってからほんの少し離れた、鼻先が付きそうなほど近くで見つめ合う。
どうして、と疑問を口に乗せながらも、そんな事はどうでもいいと思ってもいた。
どちらともなく顔が近づく、唇が触れ合い、互いの口内を人目も憚らずに味わう。
唇を離すと間近で見つめ合った。潤んで揺れる明香里の瞳がとても愛おしかった、その目が間違いなく自分をとらえているとわかり、今実体があるのだとはっきりと知らせてくれるのだ。
明香里は恥ずかしくなって俯いた、嬉しい気持ちを悟られるのが恥ずかしかった。そんな明香里が可愛くて、天之御中主神は明香里を強く抱き締める。

「あ、そういえば」

明香里は恥ずかしさを誤魔化すために会話を探した。

「狐さんがいなくなってたの。探さなくちゃ」
「それなら心配には及ばん」
「なんで?」
「あれは俺の身代わりをしてくれている」
「身代わり?」

そう、狐は。
主人のいなくなった宮だとバレぬようにしろと言いつけられて厨子で留守番をさせられているのだ。狐は嫌々ながらも諾々と従うしかなく、厨子に残ったはいいが、内心半泣きである。

(よりによって、ひたすら嘘をつくような仕事をさせるなど、本当にあのお方は神様なのか!?)

そこへ度々姿を見せるのが、これまたタチの悪い健斗なので、狐はうんざりする。

「おや、まだ狐さんしかいないのか。天之御中主神さまはまだお休みで?」

先程から何度も天之御中主神に会わせろとやってくるのだ。

「え、ええ! 起きたら社務所にやりますから! そう何度も来られましても!」
「本当に?」
「ええ! 人の身は疲れるとぼやいておりましたからな!」

神の事情など知らない健斗は「そうですか」と言うしかない。神職といえど、依代がある本殿に用もなく入るのは憚れることだった。

「──だから」

天之御中主神は明香里を見つめてにこりと笑う。

「しばし『でーと』をしようか」

天之御中主神に言われて、明香里は顔が緩むのが止められない。満面の笑みで返していた。

「うん!」

明香里が力一杯に言うと、天之御中主神は明香里の肩を抱いて歩き出す。
あまり広くはない行動範囲だが。それでも触れ合いながら歩ける喜びは、この上なく嬉しかった。
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