君が夢から醒めるまで


 季節は冬から春へと変わろうとしていた。近所の桜並木では開花を今か今かと待つ蕾たちが道行く人たちに新しい風を吹かせている。
 私はというと、そんな蕾たちも頭を抱えてしまうほど憂鬱な日々を送っていた。三月一日を皮切りに多くの企業がエントリー開始を宣言した中でしっかりと出遅れている私の気分は日に日に落ちていくばかりだった。

 その鬱蒼とした気分をさらに悪化させているのが飯村匠真という存在だった。
 あの日の翌日にかかってきた電話で何度も謝られたけれど、私は彼が眠ってしまったことなど正直忘れていた。それよりも帰り道に彼の母親から言われたことの方が重大であり重要だった。実際にそのせいで彼と会うのが気まずいと思ってしまっている。
 彼は何度か私のバイト先に足を運んでくれたけど、今までのように話せない自分がいて、そんな自分が嫌になった。何も知らない彼を責めるつもりなんて毛頭ないけれど、彼と一緒にいることも、彼について考えることも、彼と関わること全てが私を苦しめているのは事実だった。


 どん底まで落ちていく気分を晴らすため外気を感じに外へ出ると、生ぬるい風が私の体を包んだ。朝晩はまだまだ冷え込む日が続いていたが、昼間は随分と過ごしやすくなったように感じる。そんな春の木漏れ日の中を歩きながら、無意識に近くの公園に寄ろうとしている自分に気づき、足を止める。そこを遠巻きに眺めると見える景色は春色に染まっていた。
 子連れの家族がはしゃぐ声や、小学生たちがじゃれ合う声、そこにいる人たちの笑い声が遠くの私の耳にも届く。今の私はあそこにはきっと似合わない。そんな風に思えていつもは通らない道へと進路を変える。
 二十分ほど歩いたところで突然背後から声がした。

「そこの学生、止まりなさい!」

 私はこの声を知っている。全てを包み込むような大らかな声だ。

「藤山先生!なんでこんなところにいるんですか?!」

 普段大学で見るような清楚な姿からは程遠いスエットを着たラフな姿の彼女を見て、勢いよく振り返ったものの別人ではないかと一瞬ドキッとした。

「なんでって、私そこに住んでるから」

 そう言って彼女は五十メートルほど先にあるマンションを指さした。意外と近所に住んでいることを知ってもちろん驚く気持ちもあったけど、それ以上に頼れる大人が傍にいることが分かって大船に乗った気分になった。

「暇ならちょっとお茶でもしてく?」

 彼女がそう言ってマンションの方を見る。満面の笑みで頷く私を彼女は自宅まで案内してくれた。

 きっと彼女は私のことを見抜いているのだと思う。私より大きな歩幅で歩く彼女の横に並ぶだけで少しずつ気分が晴れていく。この人はきっとなるべくして教師になったのだ。そんなことを思いながら彼女をちらっと見ると、

「悩める学生さん」

 といつもの大らかな雰囲気で包んでくれた。やっぱりこの人は全てを見抜いている。

「先生には敵わないなぁ」

 私のぼやきを彼女は聞き流して部屋の鍵を開けてくれた。
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