一夜限りのはずだったのに実は愛されてました
「2人きりになれたね!紗夜ちゃんはどんな仕事してるの?」

「ファービスエンタープライズで事務をしてます」

そういうが全く聞いてなさそう。
そもそも興味もなさそう。
この人が旅館業の跡取りなの?
会って小一時間しか経っていないが不安がよぎる。

「紗夜ちゃんの肌綺麗だね」

着物を着ており素肌を露出してないのにそう言われると嫌悪感でさらに背筋が凍るよう。
身震いしてしまう。

「寒いの?温めてあげるよ」

「いえ、結構です!」

立ち上がってこちらに来そうな勢いを感じすぐさまお断りした。

今日なんとかこのまま帰れても、この人と結婚なんてなったら1日も持つ自信がない。
でもこれが政略結婚というものなのだろう。

なんとか条件を飲み込もうとするが、私の中で生理的に受け付けない大吾さんを今後受け入れられるようになるとは到底思えなかった。
もし私が断ったら家業は傾く一方かもしれない。
さまざまな思いが頭をよぎる。

本当なら大好きな人と結婚して、その人の子供を産んで、一緒に育てて……と些細な幸せでよかった。
その些細な幸せさえも叶うことはない私の未来に絶望した。

「紗夜ちゃん?」

「すみません、なんだか体調がすぐれないので今日は失礼してもいいですか?」

「ならうちで休むと良いよ」

優しさなんて微塵も感じない。
下心のある顔で言われても吐き気がする一方。

「いえ、大丈夫ですか。移してしまうと申し訳ないので失礼します」

「じゃ、タクシーまでついてくよ」

「ありがとうございます」

なんとか別々に帰れることになったが、タクシー乗り場に行くまで私の腰を支えてるように見せかけて、手はお尻を触ってきた。
気のせいかと思ったが撫でるような手つきに現実だと知らされた。
ほんの数分が永遠に感じるほど、苦痛な時間だった。

私はタクシーに乗り込むと我慢の限界を迎え、嗚咽を漏らしながら泣き始めてしまった。
このままじゃ、私の心が壊れちゃう。
タクシーの運転手がルームミラー越しに私を心配する顔が見える。 
でもこの涙を止めることなんてできなかった。

家に帰るとすぐに私は父に頭を下げた。

「ごめんなさい。どうしても無理です。大吾さんとは結婚できない」

「今更何言ってるんだ!」

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

私は何度も何度も謝った。

「父さん!俺もあの人じゃ流石に紗夜が可哀想だと思ったよ。礼儀もなってないじゃないか。いくらうちの立場が弱いにしても人として最低じゃないか?」

「貴文は黙っていろ。紗夜、この話はもう進んでしまっているんだ。もう後戻りはできない」

「そんな……」

私は呆然としてしまった。

「早く会社を辞め、アパートも引き払ってくるんだ」

私はフラフラと自室へ戻った。
もう後戻りはできないと言われてしまった。
お父さんはあんな人に娘を嫁がせることを何とも思わないの?

着物を何とか脱ぎ捨てると私はベッドの中でまた大きな声で泣いた。
泣いても泣いても涙は止まることがなく、私はそのまま泣き疲れて寝てしまった。

翌朝、私はフラフラと実家を後に東京へ帰った。
みんなに話しかけられても答えることができず、何を言われたかもわからなかった。
ただ、東京に帰りたいと思った。
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