人助けをしたら人気俳優との同居が始まりました

5

 それから海で子供のようにひとしきり遊び、夕方前に帰宅することにした。

「せっかく海に来たから、陽が沈むところ見たかったな」
「日没まであと3時間もあるから、今日は諦めよう。叶恵さん、明日仕事でしょ。そんなに待ってると疲れるよ。また今度連れて行ってあげるから」
「うん、ありがとう」
「家まで1時間以上かかるし、寝てていいよ」

 そう言われたけれど、海岸線を走っている間中ずっと叶恵は黙って海を眺めていた。
 両親のことを思い出して切なくなったけれど、それ以上に太郎と子供のように水をかけあったり、砂でお城を作ったりして楽しかった。
 でも、太郎は本来は自分と巡り合うはずがなかった人で、この時間もいってみれば夢のようなもの。
 手に入れることを望んではいけない存在だ。
 もしも太郎が2年前に病院に来なければ、もっと言えばずっとアメリカにいたら、決して出会うことはなかったはずなのに……。

「……ねえ、太郎くん。太郎くんはどうして日本に来たの? 向こうで仕事がなくなったわけじゃないよね?」

 海が見えなくなったところで叶恵はそう切り出した。

「うん」
「じゃあどうして? 日本で仕事がしてみたかったから?」
「それもある。でももっと大きな理由はね、逃げてきたんだよ」
「逃げてきた?」

 太郎に似合わない言葉だと思いながら太郎を見つめると、太郎はいつもより少しだけ真面目な表情で言った。

「日本に来る前、向こうで5年くらい付き合ってた人がいたんだ。ゆくゆくは結婚しようと思ってたんだけど、彼女はよりによって俺の親友と浮気した挙句、そいつの子を妊娠してさ。しかも、そいつと2年くらい付き合ってたらしい。だから向こうにいるのがいやになって、日本に逃げてきたんだ」
「ごめんなさい。知らなかったとはいえ、いやなことを思い出させてしまって……」

 太郎は手を伸ばして、申し訳なさに俯いた叶恵の頭を撫でた。

「今は何とも思ってないから、叶恵さんは気にしないで」
「うん。でも、ひどい人たちね。彼女も太郎くんの親友も、太郎くんに隠れて2年も付き合ってたなんて」
「それは俺も悪かったって、今なら分かる。大学卒業して本格的に俳優の仕事するようになったら、会う時間がほとんどなくなってさ。彼女もきっと淋しかったんだと思う。俺の親友にしても、最初は相談されてただけみたいだったし」
「でもせめて、太郎くんときちんと別れてその人と付き合うべきだと思うけど」
「言わなきゃと思いながらも言えなくて、時間が経つごとにどんどん言えなくなっていって、きっと仕方がなかったんだよ」
「太郎くんは大人だね。私はきっとそうは思えないよ」
「大人なんじゃなくて、前にも似たようなことがあったからだよ」

 アメリカに行ってからの心境がそうだったとは言えず、太郎は笑ってごまかす。

「それより叶恵さん、今日の晩ご飯どうする? 家に着くのは5時過ぎくらいだけど、帰って作るのは面倒だよね。何か買って帰ろうか」
「今ね、無性に食べたいものがあるの。太郎くんが良ければ作ってもいい?」
「もちろんいいけど、海で遊んで疲れたでしょ?」
「少しね。でも昔の話をしたせいか、どうしても小さい頃に食べてた甘いカレーが食べたくなって」

 両親が亡くなって國吉と絹江と暮らすようになった初めての日、絹江が作ってくれたのがカレーだった。
 じゃが芋、玉ねぎ、人参、鶏肉のほかに、季節の野菜とミキサーにかけた数種類のフルーツが入っていて、叶恵はもちろん隣のターくんも大好物だった。

「高崎家の甘いカレー、楽しみだな。俺も手伝うから一緒に作ろう。圧力鍋使えばそんなに時間もかからないし」
「太郎くん、うちの圧力鍋の使い方知ってるの?」
「この前、豚の角煮作った時に絹江さんに教えてもらった。居候太郎としては、何でもできるようになっておかなきゃと思ってね」
「ハハハ。太郎くん、私よりうちの台所に詳しいよね。……その甘いカレーね、隣の太郎くんも大好きだったんだ。大人の太郎くんの口には合わないかもしれないけど」
「でも大人になって甘いカレーって食べないから、逆に新鮮で美味しいんじゃないかな」

 途中で買い物を済ませて帰宅すると、すでに6時近かった。
 急いで野菜などの下準備をして圧力鍋に入れ、叶恵は太郎に勧められるままに先に風呂に入る。
 叶恵が風呂から上がると、すでに具材には火が通ってルーも投入されていた。

「じゃあ、あとはよろしくね」
「うん、ありがとう。お風呂、ゆっくり入ってきてね」

 30分ほどで太郎が上がってきた頃には、ちょうどいい具合に出来上がっていた。

「んー、いい匂い。さすがにお腹空いたな」
「そうだね。太郎くん、飲み物はビールでいい?」
「うん。あ、サラダ作ってくれたんだ。ありがと」

 カレーを皿によそい、お互いのグラスにビールを注ぐ。

「太郎くん、今日はいろいろありがとう。お疲れさま」
「俺の方こそ、海に付き合ってくれてありがとう」

 グラスを鳴らしてビールを飲み、叶恵はカレーを食べる太郎をじっと見つめる。
 一口食べた太郎は、叶恵に笑いかけた。

「うん、美味しい。甘いせいか、なんだかすっごく懐かしい味がする」
「そう言ってもらえてよかった」
「たまには甘いカレーもいいね」

 昔から、高崎家の夏のカレーにはナスとオクラが入っていた。
 今日も入れたそれらを食べながら、叶恵はターくんがこのカレーを食べて苦手だったオクラを克服したことを思い出した。

「太郎くんって、好き嫌いあるの?」
「今はないよ。小さい頃ははオクラが嫌いだったけどね」
「そうなの? 隣の太郎くんもオクラが嫌いだったよ。でもうちのカレーを食べて食べれるようになったの」
「奇遇だね。俺もカレーに入ってるオクラを食べて、オクラが平気になったよ」

 そんな思い出話をしながらお腹いっぱいになるまで甘いカレーを堪能し、手伝うと言った太郎を強引にソファに座らせ、叶恵は1人で片付ける。

「太郎くん、麦茶いる?」
「いる。叶恵さん、片付けしてもらってごめんね」
「とんでもない。結局カレー作り手伝ってもらったんだから、片付けるのは当然よ」

 太郎の隣に座り、しばらく無言で麦茶を飲む。
 ここにきてふと、今夜は2人きりだということを叶恵は思い出したけれど、朝とは違って不思議とそのことを意識しなかった。
 國吉と絹江がいてもいなくても、2人でいるときの空気感は何も変わらないし、自分でも信じられないほどリラックスしている。
 太郎もそうだといいなと思っていると、グラスをテーブルに置いた太郎が、何の前触れもなく叶恵の膝を枕にソファに横になった。

「‼ 突然ビックリするじゃない‼ 危なく太郎くんの顔にグラスを落とすところだったわよ」
「ごめんごめん。今日は久々に長時間運転してさすがに疲れたから、こうしたら疲れも吹き飛ぶかと思ってさ」
「その保証はないけど、私の膝でよければしばらく貸してあげる」

 叶恵は仕方ないなと笑って、お疲れさまと労わるように太郎の頭をゆっくり撫でる。

「太郎くん、今日は本当にありがとう。お墓参りに付き合ってくれた上に、海にも連れて行ってくれて」
「もうお礼はいいよ。俺がしたかっただけだし。それより、今度は夕陽を見に行かなきゃね。叶恵さんの仕事が終わってから行くのは微妙かな?」
「そうね。行くって決めた日に定時で終わる確証はないし、行くなら休みの日か、この際思い切って有給使おうかな。たくさんたまってるし。……って私、どうしてこんなに行く気満々なんだろう」
「俺と行くことが楽しみだからに決まってるでしょ」

 真剣に行くことを考えている自分がおかしくなって笑うと、太郎が得意げに言う。
 否定できなかったので素直に頷くと、太郎は少しだけ驚いた表情をした。

「太郎くんの言うとおりよ。太郎くんと出かけるのはいやじゃないし、むしろ今みたいに誘ってもらえたら、本当に楽しみだなって思える」
「ん? 俺と出かけるのは?」

 無意識に出た比較の言葉に引っ掛かったのは、太郎の方だった。別に隠すことでもないので、叶恵は早見のことを打ち明けることにした。
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