夜桜
それから六日後、角屋に来た土方さんに顔見せをした。

土方さんに会いたがっている君菊さんを、土方さんは断った。仕事で来ているから邪魔はするな、と。

土方さんが何故君菊さんを嫌っているかは分からないが、ずっと避け続けているのは確かだった。

私は芸子の鶴代さんと君菊さんの厳しい指導により、親方が認める程の遊女に成り上がった。
赤い着物に身を包み、おふくにしている髪には沢山の簪を刺した。
その中には土方さんから買ってもらったものもあった。

「失礼いたします。ようおいでにならはりました。殿方のお相手をさせていただきます。 でございます。どうぞ、よろしゅうおたの申します。」

私は襖を開け、頭を下げた。

「椿…?」

私は頭を上げ、土方さんと目を合わせた。 土方さんは目を丸くしていた。それもそのはず。今朝まで顔を合わせていた小姓がこんな格好をしているのだから。
私は襖を閉め、 土方さんの隣に行った。何も言わずに酒を杯に注いだ。
土方さんは一気にそれを飲み干し、私に尋ねた。

「椿、か?」

「へえ、葵どすえ。」

「そうか、今は偽名だったな・・。」

土方さんは私をじろじろと見て、笑った。

「大したもんだな…よく化けている。」

空になった杯に酒を注ぐ。 また一気に飲み干した。

「土方様は、鬼の様な恐ろしい方やと聞きましたけど、なんや、ええ色男どすなあ。」

土方さんは私を綺麗に二度見した。目を逸らし、料理に箸をつける。

「今は喋りとうございまへんか?」

「そうではない。」

「では何して、うちのことを見てくれへんのどす?うちは悲しゅうございますえ。」

土方さんは何も言わず、焼き魚を丁寧にほぐした。
剣術は豪快だが、食事の時の作法は とても繊細だった。土方さんは小声で私に言った。

「その調子で、敵を惚れさせるなよ。男には注意しろ。とって食われるかもしれん。」

私は口元を袖で隠して笑った。

「それにしても、明日は大変大仕事やさかい、今宵は早めにお休みさせてもらいまひょ。」

土方さんは眉をひそめた。

「どういうことだ?」

土方さんの言葉に私は口角を上げた。

「魚が罠にかかりましたえ。 早速明日、長州のお武家はんがお越しにございんす。 親方 様の勧めで、うちを座敷に呼んでくだはるさかい。そりゃ懐に忍び込むしかあらしまへんわ。」

土方さんは笑い、私の背中を叩いた。こんな姿の私にも容赦がない土方さんだが、いつもと表情が違った。

「よくやった。 流石俺の小姓は違うな。」

「土方様の命令あっての事どすえ。 おおきに。」

私は土方さんに笑顔を向けた。 土方さんもそうした。

「屯所に戻るとするか。」

土方さんは立ち上がり、私に帰る準備をしろと言った。

「外で待ってる。」

そう言って襖を開けた土方さんは、部屋の前で座っている君菊さんに驚きの声を上げた。

「お仕事は終わりんしたかえ?」

君菊さんは土方さんの腕に手を絡めた。 土方さんはそれをほどき、部屋を後にした。
君菊さんの悲しそうな顔に胸が痛くなった。 私は君菊さんに何も言えなかった。

「おい、早くしろ。」

土方さんは怒っているように見えた。怒りのやり場がなく、私にあたっているように思えた。 私は帰る支度をした。

「君菊さん、明日からよろしくお願いします。」

「廓言葉。」

私は頭を下げた。

「姉さん、明日からよろしゅうおたの申します。」

「葵。遊郭の門の外に出るまで、お国言葉は使いなさんな。 よろしゅおすな?」

「へえ、堪忍どす。」

君菊さんが言っていることはごもっともだった。
指摘されたのは自分の落ち度だ。
だが、 指摘にしては君菊さんの言葉は鋭く、土方さんと同様、怒っているように見えた。

「遅い。 帰るぞ。」

さっきまで機嫌がよかった土方さんだが、今は物凄く怖かった。
以前からこの顔を知っているとはいえ、実際それを見たら背筋が凍る。
例えその怒りが私に向けられていなく
とも、それは変わらなかった。

早歩きで前を行く土方さんには疑問だった。
いくら土方さんが君菊さんを嫌っているとはいえ、自分たちの仕事の協力をしてくれている人にとる態度ではない。

二人のことはあまり知らない私だが、 確かにそれは言える。私は土方さんの元へ駆けた。

「なんだ。」

「なんにもあらしまへん。」

「まだその喋り方か?もういいぞ。」

「まだどす。門を出るまでお国言葉は話すなと、姉さんからきつう言われております。」

「そうかい。」

土方さんは空を睨んでいた。

「姉さんのこと、どないして避けてはるんどすの?」

「ガキのお前には分かんねえことだ。 口をはさむんじゃねえ。」

土方さんの言葉は鋭く、私の胸を刺した。 いくら尊敬している人とはいえ、気に障ることをされれば怒るのは当然だった。

門を出た私は、お国言葉で言った。

「土方さん、いくら君菊さんのことを嫌っているとはいえ、あの態度はいかがなものかと。」

土方さんが私を睨んだ。 冷たいその目には、怒りの色が浮かんでいた。
話かけたとはいえ、背筋が凍るのを感じた。

「いつかお前に話す。 それを知れば、俺が君菊への態度の理由が分かるだろうよ。」

今言えない理由があるのだろうか。疑問に思ったが、私は唇を結んだ。

いつか言う、と言った土方さんを信じて待つのみ、か。

「分かりました。 首を突っ込んでしまってすみませんでした。」

「いや、俺もすまねえ。 関係ないお前には必要がない態度をとってしまった。」

「いえ。」

沈黙が流れた。 私たちは夕暮に染まる空の下を歩いた。

「明日の潜入捜査には、観察方の山崎にも同行してもろう。」

「山崎さん…?」

「ああ。 山崎丞・・新選組観察方の人間だ。」

「監察方とは?」

「ざっと言えば、忍びみてぇなもんだ。」

「忍者……」

「お前の身の安全は保障する。 山崎がいるからな。何かあったらあいつを頼れ。帰ったらいるはずだ。会わせてやる。」

身の安全の保証を知り、少しばかり安堵した。だが、緊張感は変わらない。何としても敵の考えを奪わなければならない。

「頑張れよ。結果は残さなくとも。潜入捜査は明日だけではない。肩の力は抜いておけ。」

土方さんの激励の言葉に私は口角を上げた。

「ありがとうございます。」
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